2017年6月26日(月) 22:59
元力士“高安山”の神社宮司、大関・高安にエール

日本相撲協会が26日に発表した大相撲名古屋場所(7月9日初日、愛知県体育館)の新番付で、大関の東の2番目に就いた高安関(27)に、エールを送る男性が大阪府八尾市にいる。男性はかつて「高安山」というしこ名で土俵に立った元力士。「高安姓は八尾市がルーツ」という説もあるといい、「同じ高安の名が付いた力士が大関になった。一層応援したい」と期待している。
 男性は、同市の高安地区にある玉祖(たまのおや)神社(同市神立)の宮司、清水定男さん(71)。約3年半という短い力士人生だったが、約50年前に三段目まで昇進した。
 清水さんは昭和39年3月に17歳で時津風部屋に入門。1度目の新弟子検査では体重75キロ以上という基準に2キロ足りず、7月の新弟子検査では直前に水を飲んで体重を増やすなどしてなんとか合格、名古屋場所で初土俵を踏んだ。
 実は、入門当初のしこ名は、名字からとった「清水嶺(しみずみね)」だった。それを「出身地にある高安山をしこ名にしたい」と、親方に相談。親方も快諾し、高安山に変えた。ただ、力士としては軽量だったため、対戦相手は大きな力士がほとんどで、苦戦が続いた。21歳の時に5勝2敗と勝ち越して序二段から三段目に昇進した。特に土俵際でのうっちゃりが得意だったという。
 その後の活躍が期待されたものの、昭和42年の九州場所後、父親が事故に遭い、当時の家業だった農業を継ぐために土俵に別れを告げた。本来親方に切ってもらうはずの髷を自分で切るほど慌ただしかった。
 今は、710(和銅3)年の創建から1300年以上の歴史があるとされ、清水家と代々つながりがある玉祖神社の宮司を務める。地域をまとめる役割も担うが、清水さんは「(力士経験で)辛抱強さと親への感謝の気持ちを学んだ。それはいまに影響を与えている」と振り返る。
 自身がかつて名乗った「高安」がしこ名につく高安関については、平成22年九州場所に新十両に上がったときから気にかけていた。元力士らしく「立ち会いでもう少し脇を締めたほうがいいのでは」と注文をつけつつ、「これからもより応援したい」と期待を込めた。(産経新聞)