2016年10月28日(金) 20:01
韮山反射炉と江川太郎左衛門英龍

1853年ペリー来航、急遽日本は防衛策を講じる必要に迫られ大砲をつくる。その為の溶鉱炉の先駆けがこの反射炉である。石炭を燃やしただけでは鉄は溶けない。石炭の熱を反射で集中させて鉄を溶かす。写真は反射炉4基が一体になりここから流れ出る溶けた鉄を鋳込み大砲をつくる。推進役は韮山代官江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんえいたつ)。この方は日本のダ・ヴィンチと言われるぐらい何にでも通じていた。絵・書・砲術・測量・パンの製造(パン祖とよばれる)・造船そして吉田松陰の師佐久間象山もここ江川塾の塾生である。江戸湾守護のお台場も彼が造った。これだけの人物をなぜ教科書で習わないのか不思議に思ったが、立場が幕府側であったことが一つの原因らしい。いつの世もすごい方がおられるものだと感じ入った。