2007年5月14日(月) 14:57
天誅組の旅

最近、自転車でダイエットを兼ねてサイクリングをしています。
二月には憧れのロードバイク(タイヤが細くて軽い自転車)を中古で
購入して活動範囲が広がってきました。体重も周囲の雑音の中着実に減っています。今回は、天誅組の終焉の地に行ってきました。


コース概略 八尾より国道25号線
      王寺手前で右にそれて県道14号線を桜井まで
      桜井から国道166号線で女寄峠越え
      166号線にそって右折して大宇陀道の駅
      166号線に沿っていきトンネル前で天誅組の墓を墓参
      県道16号線に分かれて天誅組のリーダーのひとり
      吉村寅太郎終焉の地を見学
      吉野川まで下ってトンネルを越えて津風呂湖へ
      もう一度吉野川まで下って今度は芋が峠越えで明日香へ
      明日香からサイクリングロードをつないで王寺まで
      25号線より帰宅

      走行距離 130.48K 

天誅組
   八尾ゆかりの伴林光平の事を調べているうちに天誅組
   の事を知りたくなった。この場所は天誅組の最後の
   戦いがあった場所で壊滅した場所でもあります。
   伴林光平は先方隊としてこの激戦の二日前に通過して
   生きながらえましたが生駒付近でつかまり
   翌年処刑されています。さらに勉強を進める中で
   今度は十津川村と高取城に行ってみたくなりました。

墓参
   天誅組隊士が眠るお墓を墓参していると墓地の前の民家から
   おばちゃんが出てきて天誅組のパンフレットと説明を
   して頂きました。もう少し勉強してから説明していただいたら
   もっと深い話ができたのにと少し後悔です。
   その中で印象に残った二つの話をします。
 (1)隊士の墓の横に少し離れて左右に二つお墓がありました。
   一つは最後の戦い後、隊士の遺骨を集めてお墓を作った地元の
   夫婦の墓です。
   彼らは亡くなった状況や場所、時間を記録に取り隊士の
   供養を一生懸命されたそうです。当時、村の人は隊士をかくまって
   同情心を持って接したそうです。他の資料によると逃走中も狼藉を
   振るう事無く食事を頂いても費用を払って行ったそうです。逆に
   捕まえに来た幕府方の方が怖かったと記録に残っています。
   調べる中で見つけたブログ

   http://blogs.yahoo.co.jp/sumiyan2001/46120247.html
   http://blogs.yahoo.co.jp/sumiyan2001/44098694.html

 
   もう一つの墓は最近近くにトンネルを掘ったときに発見された
   遺骨です。名前までわからなかったが持ち物などから天誅組隊士と
   判断され葬られたそうです。

 (2)最近、若い人が多く訪れるようになったといってました。
   忠臣蔵と比較して歴史的評価が低すぎる話もされていました。
   代官所の焼き討ちや高取城攻めなど評価しにくい事を行ってきたが
   残念であると話してました。最近、刈谷から観光バスで多くの人が
   来られた話。隊士の中に刈谷市出身の人がいて資料館を
   作っているそうです。それで、刀などの遺品を贈呈したと
   言ってました。


まとまりの無い事をいろいろ書きましたが興味ある方は一度行って見ては
どうですか。案内しますよ自転車で。