2007年4月22日(日) 23:11
セミナ-「菅原道真」

今年度第1回目宝島セミナ-は、21日に道明寺天満宮禰宜南坊城さんに「菅原道真」をお話頂いた。初めて耳にすることも多く、また講師のユ−モアが挿入されて実に楽しいひと時を過ごした。その名が知られている日本の歴史上の人物として、菅原道真は恐らく5本の指に入ると思うが、3歳の時に和歌を詠んだという史実は驚きを通り越す。まさに学問の神様に相応しい。

道真は264年間(630〜894)続いた遣唐使派遣を、自身が遣唐大使に任命された時(894年)に宇多天皇に中止の上奏をし廃止に持って行った。その理由として、表向きは唐の衰退、航海への危険とされているが、他に宇多天皇との合作演出(遣唐大使に任命して道真の箔付け=講師の話)、藤原氏の陰謀(宇多天皇と道真の離間)への反撃等々があり、真相は明らかではない。

ここで私の興味を引くのは、264年間続いた遣唐使派遣の歴史である。今と違い建造技術も航海技術も未熟な当時の航海は危険極まりないものであった。この間に合計20回派遣されたのだが、船団が往復とも無事であったのは僅か一回であったという事実がそれを物語っている。延べ3,700人が派遣されたうち、無事に帰ってきた者は約1,700人と5割にも満たないのである。

そんな危険を知りながら、国造りの為に唐に学ぶべく20回も人を派遣した。私は国造りに腐心する当時の行政担当者の健気さや必死さに悲しみすら覚える。

処で次男の高校合格祈願で道明寺天満宮へ参拝したのは、早19年も昔になってしまった。