2014年9月13日(土) 18:20
月と日本人

9月9日、十五夜の翌日は満月でした。
十五夜以降はおよそ50分ずつ月の出が遅くなるそうです。だから月が出るのをためらっている(=いざよう)ようだとして、十六夜。そしてその翌日はまだだろうか?と、月を立って待つとして、「立待月」そして、居待月、寝待月、更待月、下弦の月……等々。
その昔、日本の旧暦は太陰太陽暦といって、太陰暦と太陽暦の要素から成り立っていたとのことです。太陰暦では月の満ち欠けの周期に基づいていたため、月の満ち欠けが一ヶ月単位でした。
人々は月日を、月の満ち欠けで知り、日常の農作業などの行事を進め、月明かりを頼りに暮らしていたので、月は欠かせないものであり、その様子が月の満ち欠けによる呼び名にあらわれているのだそうです。
新暦で過ごす自分達には、月は愛でるものへと変わってきたのでしょうか。昔の人々に比べ、月の満ち欠けへの意識が低くなり、自然に向き合う心が変わってきたように感じます。
旧暦の名残はお祭りや年中行事に残っています。だから十五夜や十六夜などがあります。だけどなぜその様な行事があるのか、深く知らないでいたように思います。旧暦で生活をしていた人々は、お月見を、美しい月を眺めながら収穫に感謝する行事とし、月への感謝の気持ちで、その季節の収穫物やお団子をお供えし、子供たちがいたずらに盗み食いをすれば、月見どろぼうと言って、お月様が食べてくださったからよいことがあると歓迎したそうで、今の時代では考えられないような出来事に、感謝できる素晴らしさ…。忘れていたことを教えられたように感じます。
旧暦で生活をしていた時代はゆっくりと時がながれ、素朴ななかにも現代の自分達が忘れてしまった自然への畏敬の心がしっかりと根付いていたのです。
また、9月9日は「重陽の節句」でもありました。長寿を祈願する行事です。
恥ずかしながら私は、よく知らない行事でした。江戸時代に制定された五節句のうちの一つだそうで、明治時代に新暦になって廃止されたそうですが、年中行事の一環として定着しているそうです。節句には植物の別名があり、重陽の節句は「菊の節句」とも言われるそうで、情緒ゆたかな表現です。

九月は重陽の節句に始まり、敬老の日、秋のお彼岸へと繋がっています。
長寿祈願に始まり、お年寄りを敬い、長寿をお祝いし、そしてご先祖さまを供養する。
三月を考えてみると、桃の節句に始まり、春のお彼岸があります。桃の節句は今は女の子のお祭りですが、昔は年齢や性別を問わず幸せを願う邪気払い行事だったそうです。そしてご先祖さまを供養するのです。
春分、秋分は太陽が真東から昇り真西に沈むことから、ご先祖さまのおられる仏の世界に通じやすいとのこと。そしてその月に家族やお年寄りを大切に考える行事を行う。昔の人々は、自然と向き合い、根っことのつながりを大切にして、太い幹に枝葉を茂らせていくことを、本当に重視していたのだなと感じます。
(和の行事を楽しむ絵本参照)
行事を通じ、日本人として改めて多くの大切な心を学びたいものです。