2013年6月16日(日) 9:08
三浦綾子さんのことD

39年の短い生涯で、ガラシャは三つの大きな災難に遭う。(1)父・光秀の起こした「本能寺の変」 父の協力要請に義父・藤高も夫・忠興も応ぜず、3日天下(実際は11日)に終わる。 ガラシャは幼子を残し味土野に1年8ヶ月の幽閉生活。 (2)太閤秀吉の禁教令。人生の師と仰いでいた高山右近も領地没収、追放となり、ガラシャも夫から強く棄教を迫られる。

 (3)関ヶ原の戦い。 夫は徳川方につき出陣の折ガラシャに、「そなたを隠す(避難させる)ことは出来ない。 しかし西軍の人質には絶対になるな」との難題。つまりいざとなれば死ねと。 だが、ガラシャはクリスチャン、自殺は出来ない。

 綾子さんの苦難は、正しく病気との闘いでしょう。 結核と脊椎カリエスで約13年入院(24歳〜37歳)。紫斑病、喉頭がん、帯状疱疹=3大痛い病(58歳)、直腸がん(60歳)、パ−キンソ病(70歳〜77歳)を経験。最後の5年間は起きることも寝ることも自力では出来なかったそうです。

 光世さんの言葉。「私達が旭川を離れなかったのは、冬の厳しさの後に訪れる美しい木々の景色や街並みがあるからです。病の辛さのなかから生きる希望を見出した綾子だからこそ、春を待つ喜びを小説にできたのでしょう。

 私はガラシャは死ぬことで生き返ったと考えています。とすれば、ガラシャと綾子さんの何と似ていることか。 お二人の御冥福を祈らずにはおられません。