2013年6月12日(水) 8:51
三浦綾子さんのことC

写真は、玉造カトリック教会の西北、道路に挟まれた三角地にある「越中井=細川家の井戸跡」に建てられているガラシャ夫人の辞世の句です。筆は徳富蘇峰、側面の説明文は「広辞苑」の編者でもある新村出のものですが、撮るのを忘れました。

 「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」は、小泉元首相が退陣の折口にしましたが、ガラシャから13代目の細川護煕元首相も使ったらしいです。 時代の仕組みに苦しめられ、男達の戦いに弄ばされ、夫のわがままに振り回されたガラシャにとって、これを詠んだ瞬間に全てが洗い流され、一番心の平安を得たときではなかったでしょうか。その凛とした姿に私は惹かれるのです。

 出会って4年後(1959)の元日に光世氏は綾子さんにプロポ−ズし、5月に結婚。光世さん35歳、綾子さん37歳。1964(昭和39)年、朝日新聞の懸賞小説に彼女の「氷点」が入選。結婚後営んでいた雑貨店の主婦が一躍1,000万円の賞金を得ることになったのです。(ちなみに当時の私の月給は1万1千円?)

 翌月雑貨店を閉め、更に2年後光世氏も勤めていた営林局を退職し、マネジャ−に専念。綾子さんがその後次々と作品を発表されたことは説明するまでもありませんが、昨年の角川文庫のアンケ−トで「必読名作」部門の一位に選ばれたそうです。