2013年6月5日(水) 20:37
三浦綾子さんのことB

写真は、玉造カトリック教会の玄関横、ガラシャ夫人の像と対に建つキリシタン大名高山右近の石像です。

 細川忠興と玉子(ガラシャ夫人の洗礼前の名前)が挙式して一年後、二人は居城勝龍寺城(現長岡京市)に高山右近を招いた。「右近殿の領民は幸せでござるな」と忠興。 「幸せであって欲しいと願っております。領民が不幸では、領主に幸せがござりませぬ」と右近。思わず玉子は顔を上げた。初めて会った玉子は、その高潔な人格に強く惹かれたのである。(三浦綾子・「細川ガラシャ夫人」より)  右近は、愛して止まない父・明智光秀以外でもっとも玉子が敬愛した人物ではなかろうか。

 光世さんは、ストレプトマイシンのお陰で病状が安定していたが、綾子さんには副作用の関係で使えない。光世さんが病室で見た彼女は、食事も仰向けのまま食器を胸におき鏡をみながら食べる状態だった由。 光世さんは3度目に見舞った時に、「私の命をこの堀田(綾子さんの本名)にあげてもよろしいですから、どうぞお癒しください」と声にだして祈ったといいます。

 その少し後、綾子さんが死んだ夢を見た光世さんは絶望感に襲われ、ひれ伏したまま彼女への癒しを求めて神に祈る。このことを書いた手紙で初めて彼女に愛を伝えた。一年後、何と彼女はギブスベッドを下りて立てるまでに回復した。