2013年6月2日(日) 8:43
三浦綾子さんのことA

写真は、大阪市中央区玉造2丁目にある私の元勤務先で、裏手(北側)には大阪女学院、更に玉造カトリック教会へと続きます。ここは、細川家の大阪屋敷があった所であり、ひょっとして、私の席の辺りからガラシャは大坂城の天守閣を眺めながら、最愛の父・光秀を滅ぼした太閤秀吉のことを思っていたかも知れない。 (と思えば心が躍る)

 三浦綾子さんの次の言葉程、私に感動をもたらしたものはありません。

 「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言い続けるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜ私達は不満を後まわしにして、感謝すべきことを先にいわないのだろう。」  「自分を顧みてつくづくそう思う」という言葉に綾子さんの人格そのものが現れている様に思われます。

 実は、光世さんも幼い時に結核に罹り17歳で腎臓摘出。お二人の出会いは、全国の結核療養者が短歌や手紙を寄せるキリスト教同人雑誌。ある時、光世さんは仲間から療養10年目の綾子さんを見舞って欲しいと頼まれる。光世という名前から女性と勘違いされたらしい。

 最近、祈りの奇跡、祈りの大切さが言われるが、綾子さんに奇跡がもたらされる。それは次回に。