2013年5月26日(日) 9:12
三浦綾子さんのこと@

写真は、大阪市中央区玉造にある、玉造カトリック教会の入り口に建つ細川ガラシャ夫人の石像です。 

 私の目をガラシャ夫人に向けさせてくれた恩人は三浦綾子さんである。勿論、本人自身ではなく、その著書「細川ガラシャ夫人」であるが。

 一昨日まで、朝日新聞夕刊に故三浦綾子さんの夫・三浦光世さん(三浦綾子記念文学館長)の、「人生の贈りもの」が連載されていた。氏の顔写真も載っていたが、人柄そのものの穏やかなお顔である。きっと綾子さんもこのお顔に癒されたに違いない。

 私は、挫折ほど人を大きくさせるものはないと考えているが、それは、綾子さんにもピタッと当てはまる。彼女の挫折は、17歳から7年間の旭川の小学校での教鞭生活に由来する。終戦と同時に、彼女がそれまで全霊を傾けて子供たちに教えていたことが全部否定されたのだ。どれ程そのショックは大きかったことだろう。

 そのショックから、昭和21年教員を辞職するのだが、それからが苦難の始まりとなる。間もなく高熱を発し以後13年間の闘病生活(肺結核や脊椎カリエス)。 その中の何年間は絶対安静で、寝返りも打てないように体を固定するベッドに寝かされている状態だった言う。私なら到底堪えられず気が狂っていただろう。そんな綾子さんに光世さんとの運命の出会いが待っていた。