2013年5月24日(金) 8:44
八尾のことを話そうC

写真は八尾市宮町にある穴太神社(あのうじんじゃ)で、この一帯は聖徳太子のご生母間人穴太部皇后の成人の地と言われています。

 このように河内は歴史上とても重要な地でした。それは、河内が大和と難波との中間に位置していることからも容易に想像がつくことです。勿論、歴史上有名な出来事は一杯あり、中には、河内が成都となる機会が何回かありました。

 高天原の天照大神の孫のニニギノミコトが日向の国高千穂に天孫降臨し、更にその孫に当たるワカミケヌミコトが東征、2672年前、橿原の地に立派な宮殿を築いたのがわが国の始まりとされています。ワカミケヌミコトを後世に贈り名して神武天皇といいます。

 実は、神武天皇の東征の前に、ニニギノミコトの兄に当たるニギハヤイノミコトが既に河内に天孫降臨していたのです。つまり一回目の成都となる機会でした。しかし、ニギハヤイノミコトが、神武天皇の東征に協力し実権を譲ったのです。 このことがあり、恩義を感じた大王家(天皇家)は、朝廷における軍事面を担当する重要なポストにニギハヤイを祖とする物部氏(河内を版図とする)に与えたのです。

 いや、歴史(神話を含む)って面白いですね。