2011年10月26日(水) 8:33
「心豊かな国ブ−タン」と西岡京冶C

やっと西岡京冶に辿り着きました。では先ず略歴から(敬称略)

1933(昭和7)年、京城(現・ソウル)に生まれる。4人兄弟で下に妹3人。
1945(昭和20)年、京冶12歳。敗戦でソウルを引き揚げ、大阪府八尾市に移住(父辰蔵の出身地)、その後大阪府立八尾高校卒業、大阪府立大学農学部に進学。恩師中尾佐助との出会い。
1958(昭和33)年、西北ネパ−ル調査隊に加わる。
1959(昭和34)年、京冶が講師を務める講演会で里子に出会う。

1961(昭和36)年、里子と結婚。京冶28歳、里子25歳。
1962(昭和37)年、東北ネパ−ル学術探検隊副隊長。里子も同行。
1964(昭和39)年、ブ−タンに、海外技術協力事業団(現、国際協力機構)のコロンボ計画の農業指導者として夫人と共に赴任。 

我々の周りにも、子供時代は心身共に弱く、おとなしかったのに、大人になってその裏返しのように力強く活躍するのを見て、 ”へぇあの子がね!” とビックリさせられることが良くあります。  京冶少年がまさにそうでした。 例えば、京城時代、夕暮れ時にお使いを頼まれると、一人では怖くて行けないものだから、直ぐ下の妹に ”ねぇ一緒に来ておくれよ” とこっそり頼んだりしたとの逸話が残っています。  兎に角、京冶は気が弱くて、おとなしいうえ、風邪を引きやすく、両親を良く心配させました。