2011年9月14日(水) 10:01
正義の対極は別の正義?

米国のシンボル「世界貿易センタ−」に旅客機が突っ込むというまるでアメリカ映画を観るようだった9・11テロから早や10年。 その間米国はアフガニスタン紛争、イラク戦争へと進み、1兆3千億ドルもの莫大なお金と数千人に及ぶ自国兵の犠牲を払いながら、初期の目的、サダム・フセインの逮捕・死刑執行とオサマ・ビンラディンの暗殺を遂げた。

私には、年々世の中は複雑になりその解決が難しくなっているように思えてならない。何故だろう。先日の新聞に、「正義の対岸には悪ではなく、別の正義があるばかりであった」の一文が。 そうか!! 物事が、正義の反対が(絶対の)悪であるなら、ことは案外簡単なのかも知れない。しかしそれが別の正義であるが故に解決は難しいのだろう。

「テロは絶対許されべきではない」が私達の正義である。 しかし相手側は「欧米の正義が世界に格差を生み我々を苦しめている」との別の正義を振りかざしており、しかも、共に一神教文化圏同士の戦いと言える。フセインとビンラディンがこの世から消えただけでは対立は消えないのだ。

八尾の穴太神社(聖徳太子のご生母の生地)には、天照大神を初めとして全部で9神が祀られている。キリスト、イスラム教圏の人達にはとんでもないことであろう。しかし、日本のこのような大らかな精神性でしか世界を救えないかもしれない。 正義だけでは・・・・・。