2009年7月4日(土) 20:15
天誅組を追いかけて潮岬への旅 3

今回は新宮から潮岬までの道のりを書きます。

その前に、新宮と天誅組について一言

天誅組は五條の代官所を襲撃した時とほとんど同時期に宮中で政変があり徳川幕府からはもちろん、天皇からも逆賊になってしまいました。
吉野界隈で奮戦するもジリ貧で再起を計るために長州に逃げることを計画します。天辻峠から五條に下って河内に逃げるか、十津川を抜けて新宮に逃げ海路で長州に逃げるかの選択を迫られました。結局、両方とも判断が遅れ山中を彷徨い東吉野の地で主要なメンバーが壮絶な死を遂げるのです。
その時、幕府側で活躍したのが水野忠幹である。忠幹は、第二次長州征伐のとき各地で敗戦を続ける幕府軍の中で彼一人奮戦して長州軍を恐れさせたと記録に残っています。その忠幹が大阪から二日で新宮に戻り、各港や船着場を抑えさせて天誅組の逃走を阻止しました。ちなみに彼の長男は八甲田雪中行軍遭難事件で殉死しています。

前置きが長くなってしまいましたが、この新宮に12時ちょうどに到着し海沿いを那智勝浦・太地町を経て14:30に潮岬の本州最南端にたどり着きました。着いたら今までの雨が嘘のように晴れ上がり到着の祝いにソフトクリームを食べました。電車の時間があるのであまりゆっくりできずに串本に行き、串本温泉で汗を流して予定の一本遅れ(予定の範疇)で大阪に特急で戻りました。
今度はゆっくりと行きたいです。

長文 読んでいただいて有難うございました。