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 美しくあって欲しい  ikekazu  2021年8月5日(木) 10:09
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 70連勝に向かって連戦連勝中の双葉山から、船上の哲学者・安岡正篤氏に送った電報の「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ)の逸話に大いに感動、大鵬を日本の父と呼んだ白鵬。もう手元にはないが、雑誌「致知」で大鵬と白鵬は対談をしていた。白鵬は二人を目指すべき師としたのだ。読んだ私は白鵬を「日本人以上に日本人らしい」と感動したのを覚えている。それが何処で何時、何故道を間違えたのであろうか。彼は日本に帰化した。もう日本人である。そうであるならもう一度原点に戻って貰いたい、相撲の何たるかを学んでほしいものである。

 45回の優勝という大記録を作った白鵬。称賛の嵐が起こってもおかしくないが、そのような兆しは何処にもない。原因は彼自身が生み出している。正代との仕切り、一番後ろまで下がり、立ちあがっての張り差し、又随分前から指摘されているかち揚げ、相撲に勝っての万歳、全て「美しくない」。それを指摘されながら一向に改める気配がない。どうしたことか。

 ネットで、彼の土俵入りが問題視されていたので見てみたが、確かに所作が短く、小さくなっている。受け継がれてきた堂々たる土俵入りから程遠いものを感じた。

 東京五輪の柔道を見たが、礼に始まって礼に終わる。ある選手は最後に畳に迄感謝の気持ちを捧げていた。見ていて感動する。実に「美しい」のである。白鵬にお願いしたい。どうか伝統ある相撲を「美しいものに戻して欲しい」。そうでなければあなたの日本の父・大鵬も草葉の陰で泣いているだろう。あなたはそれでも良いのか? 自分を許せるのか?

 紫式部は何を伝えたかったのか26回  ikekazu  2021年8月4日(水) 15:55
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「女三の宮、その三」柏木は中納言に昇進し、落葉の宮(女二宮=朱雀院の二番目の内親王)と結婚したにも関わらず(最も柏木は女三の宮との結婚を望んでいた)、今尚女三の宮への思いが絶ち切れずにいます(ちょっと信じられません)。そして、遂に賀茂の祭りの前日、小侍従の手引きで宮のもとへ忍び込み、想いを遂げてしまいました。今になって二人は不安に駆られ、罪の意識におびえる日々を送ります。でも女三の宮には罪はありませんよね。

 病気が重くなり六条院から二条院に移った紫の上の回復の兆しが見えず、光源氏は慌てふためいています。そんな折、六条院では矢張り体調が悪いという女三の宮の知らせを受け光源氏が見舞いに訪れると、懐妊の様子です。光源氏は不審に思います。更に、運よく? 運悪く?

 柏木が女三の宮に送った文が光源氏に見つかってしまったのです。文には、長年にわたる三の宮への思慕、その思いが叶ったことなどがはっきりと書いてあるのでした。一切の秘密が露見し、光源氏は二人に失望すると同時に、かっての自らの過ちを思い起こします。もしや父院も藤壺と私の関係をご存知で、知らぬ顔をしていたのでは。柏木と女三の宮もそれぞれに苦悩するのでした。

 紫式部の伝えたかったことの一つは、この事だったかも知れませんね。

 箸休めA  ikekazu  2021年8月3日(火) 9:20
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 雑誌致知8月号の童門冬二さんの小説「徳川家康」に出てきた、本多正信の言葉に思わず笑ってしまった。引用させて頂く。『この世には二通りの人間』がいる。『二通りの人間のひとつは、死ぬまで童心を保ち続ける。子供の幼心を失わない。だからと言って善いことばかり行うわけではない。悪事も働く。本人は全くその事に気づいていない。天がかばっているからだ』

「もうひとつは、そういう行いの償いや後始末ばかりさせられる人間だ。そういう損な役割をこの世で与えられながら、絶対に不平ひとつ、不満一つも言わぬ。他人にも漏らさぬ。不公平だが、世の中はこの二通りの人間で成り立っている。だから上手くいく」

 この二通りの人間が「源氏物語」の中にいるではありませんか。一人は光源氏、もう一人は惟光である。まさにぴったり。光源氏と惟光は乳兄弟。光源氏を育てたのが惟光の母である。光源氏が好きな事をする。その後始末をするのは全て惟光である。もう五指にあまる例がありますが、以下一つだけご紹介します。

 光源氏17歳、夕顔19歳、惟光は光源氏と夕顔の逢瀬の手引きをする。八月十五夜、五条の夕顔の家で一夜を過ごした光源氏は、とある廃院に二人で向かいます。夜光源氏は夕顔をかき起こそうとしている夢を見て、はっと目覚めました。夕顔は既に息絶えていました(大事件)。直ぐさま惟光を呼んで、直ぐに亡骸を東山の寺に移し、葬送させます。しかも信じられないことに夕顔の五条の留守家族には一切この事は話していないのです。ことを起こしたのが光源氏、一切の後始末を惟光は不平一つ言わず淡々となしとげたのでした。

 紫式部は何を伝えたかったのか25回  ikekazu  2021年8月2日(月) 10:34
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(知識の栞)当時の今上・一条天皇に愛猫(雌猫)がいた。生まれた時には人間と同様に誕生祝の「産養」の儀を催し、人間の乳母までつけた。更にこの猫は朝廷から五位の位まで与えられ(清涼殿へ上がる為)、「命婦のおとど」と呼ばれていた。一条天皇の可愛がりようがよく分かる。

「女三の宮その二」光源氏の正妻となった女三の宮であったが、何かに付けて幼すぎる妻に光源氏の関心は薄かった。光源氏は、表向きや儀式の時は大切に扱い、決して粗略にしないものの、愛情の点では紫の上に比べようもない冷淡さで、義理だけで女三の宮の所へ泊まりに行き回数も少ない。

 処で当時の背景として、女性は夫や家族にしか顔を見せないことになっていた。見られないと見たくなるのが人間の本能(古事記他で知る)。男盛りの夕霧や柏木は女三の宮の顔を何とか見たいものだと思っている。

 三月の陽光うららかな日、六条院に柏木や蛍兵部卿が参上し、夕霧も加わり、蹴鞠の遊びをしていました。すると、唐猫が走り出てきて、首綱を引き掛けたので御簾がめくれ上がり、室内で見ていた女三の宮の姿が丸見えになってしまいました。

 その時、かねがね女三の宮に関心を抱いていた柏木は、その姿に惹かれてしまいます。思い悩み、小侍従を介して女三の宮へ恋文を送るのでした。(叔父・光源氏の正妻に恋心を抱くなんてなんて事だ!!! 事件が起こらなければよいが)。次回に続く。

 自然が循環する社会  ikekazu  2021年8月1日(日) 9:26
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 致知8月号でフ−ドリボン社長の宇田悦子氏が語っていた。「私たちの事業を通じて自然が循環する社会を実現することで、幸せが循環する社会を目指したい」と。素晴らしい発想だと思った。SDGsの理念も結局そう言うことではなかろうか。人間を含む何百万種?の生物が生息するこの地球。この地球を守る(救う)為には自然が循環する社会に戻すしかないのではなかろうか。我々は地球という場所を借りているのだということを忘れてはならない。借りたものなら元通りにして返すのが当たり前。

 60年前までの私の実家では、全てが循環していた。以前にも紹介したが、再度述べてみたい。私の実家は米作農業を営んでいた。(牛)博労から子牛を預かる。育てながら農作業に使う。餌は主に家で取れる藁と乾燥した草である。厩にはたくさんの藁を入れる。そこで牛は寝ると同時に糞や尿をする、その糞や尿の滲みた藁を定期的に取りだし、田の肥やしに。牛は3年程で立派な成牛になり博労に引き取って貰う(幾ばくかの育て賃を貰う)。代わりに又子牛を預かるのです。

(人間)たまに食べる魚の骨や、シジミの殻は細かく打ち砕いて鶏の餌とする。鶏は、日中は放し飼い夜に鶏小屋にいれる。鶏は卵を産む。人間がその卵を食べる。そうして時期が来れば何かの行事の時にその鶏の命(肉)を頂く。料理人は父親。米のとぎ汁は牛の貴重な飲み物。家で取れる野菜が毎日のおかずになる。食べられない部分は牛や鶏(時には飼い犬)が食べてくれる。捨てる物はない。(稲藁)草履、厩の敷物、筵、縄、俵、牛の餌、田の飼料等々に化けるのだ。

 兎に角日々の生活でゴミが出ないのである。私が過ごした18年間、村や町によるごみの収集など一度も無かったと記憶する。完全に循環していた。僅か60年前のことなのだ。我々は何処で道を間違えたのであろうか。もう60年前には戻れないけれど。

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