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 有識者会議の方々には羨ましかろう  ikekazu  2021年8月25日(水) 10:10
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 今日の話は、皇位継承のあり方を議論している政府の「有識者会議」のメンバ−の方々は当然ご存知で、羨ましく思っておられることだろう。2600年も続く日本の皇室の歴史の一コマである。この度、有識者会議は「皇族数の確保」を喫緊の課題と位置付け、三案をまとめられたようである。

 第52代の嵯峨天皇は三筆(嵯峨天皇、空海、橘逸勢)の一人に数えられる能筆家だったが、政治的にも文化的にも巨大な力を持っていたと言われる。子どもも多く、男子だけでも22人に上る。そこで嵯峨天皇はその22人を三種類にわけた。@天皇を継ぐ皇太子。Aもう一つは控えの皇太子要員。B源氏 である。

 処で、嵯峨天皇、醍醐天皇、村上天皇等々、それぞれの源氏の始祖の帝は、どのような基準で皇族に残る皇子と源氏となる息子たちを分けたのか? それは母の出自であった。母の家柄が低ければ、皇族に残さず源氏とする。

「源氏物語」は勿論「物語」であるが、桐壺帝は10人の皇子を授かった。一番目が後の朱雀帝(母は弘徽殿女御)、二番目が我ら光源氏(母は桐壺更衣)、八番目が宇治十帖に登場の八の宮。光源氏は10人の皇子のうちただ一人臣籍に降ろされた。桐壺更衣には父親もいない。有力な後ろ盾がなかった。その事もあり、桐壺帝は出来れば光源氏を東宮→天皇としたかったが、泣く泣く臣下に降ろしたのであった。

 だから、『源氏物語』というタイトルは、主人公が身分社会の敗者である事を示しているとも言える。

 「源氏物語」の思い出D  ikekazu  2021年8月24日(火) 11:21
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 現在においても「噂」が命取りになることがあるかも知れない。が平安貴族は殊の外噂を恐れた。理由として考えられるのは、@平安の貴族社会は真に狭い地域、即ち、東西約4.5キロ、南北約5.2キロの平安京の中での付き合いだったから。A男君や女君に仕える女房の存在(口が軽い) B僧都も意外と口が軽かった。

(落葉の宮の話) この姫君は朱雀帝と一条御息所との間に出来た2番目の内親王。一条御息所は身分が低い更衣であり、言葉は悪いが「劣り腹」と言われる。最初は柏木と結ばれたが、柏木は光源氏の正妻「三の宮」と密通し後の薫が生まれる。それを知った光源氏に睨まれた為、そのストレスがもとで柏木は逝去。未亡人となった二の宮は一条御息所のところへ帰る。「落葉の宮」と呼ばれる。

 夕霧が落葉の宮のもとに通うようになって2年半、一条御息所は皇女である娘は唯一の誇り。その娘が夫と死別して、今また別のを受け入れようとしているという噂が広まっているらしい。御息所は「軽々しい浮名が流れてしまう」と思い嘆きます。

 夕霧は遂に恋情を訴える。が落葉の宮は拒否。夕霧が朝帰りするところを出入りの律師が見つけ母の一条御息所に告げる。御息所は夕霧と落葉の宮が契ったと誤解。もう二日通ってくれたら三日の夜の餅で結婚と思っていたが、夕霧は来ない。遅れて届いた手紙から御息所は夕霧に誠意がないと判断、精神状態がぎりぎりまで追い詰められていく。「皇女が一夜で捨てられたとは、世の例(ためし)にも引かれるに違いない屈辱」とショック死の様な亡くなり方となる。噂の広がりを恐れた為でした。

 人間にとって一番恐ろしい生き物は?  ikekazu  2021年8月23日(月) 11:24
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『源氏物語』第5帖「若紫」の冒頭は、「源氏の君は瘧病(わらわやみ)にかかられた。呪いや加持祈祷など、さまざまお試みになるけれども、いっこう効験も見えず、幾度もお熱のさし引きが止まないので困っていられると、ある人が、「北山に某寺というのがございまして、そこに優れた行者が籠っているそうでございます」円地文子訳。この時源氏は18歳。

 現在医学は、この瘧病(わらわやみ)は多分マラリアだろうと推測している。「数日後、お迎えの人々が快くおなりになったお祝いを言上する。帝からもお使いがあった」とあるから重くならずに回復したのだろう。

 さて、地球上で人間にとって一番恐ろしい生き物は何でしようか。ライオン、ワニ、熊、象、サメ、毒蛇、皆怖いですね。これ等の動物に出合ったら最後死を覚悟しなければなりません。私だったら足がすくんで逃げられないに違いありません。でも、ちょっと待って下さい。もっと怖い動物がいるのですよ。

 ヒントは、冒頭の瘧病(わらわやみ)=マラリアです。マラリアを媒介する「蚊」なのです。マラリアの死者は世界で年間40万人に上る。蚊は「人類最大の敵」と言われる危険な存在です。ライオンや毒蛇では40万人も死にません。精々何百人でしょう。

 明治の作家小泉八雲の随筆に「わたくしは蚊に攻められているのである」「全身に銀色の斑点と縞目のある、小さな針みたいなやつ」が「容易ならぬ豪敵だった」と憎々しげに書いているそうだ。「いつの日か蚊に生まれ変わり、刺すような歌をうたいながら、自分の知っている人達を噛みに」行きたいとも。 

 「源氏物語」の思い出C  ikekazu  2021年8月22日(日) 11:17
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「結婚と離婚」 結婚は男が女のところに新婚3日間毎晩通い、三日目の夜に、男女が共に餅を食べる事を、「三日の夜の餅」といい、女性側の家族が用意する。それで結婚が成立。逆に離婚、時の法律「養老令」には、夫に連絡を絶たれた妻が次に結婚するまで待つべき期間が3年と決まっていた。但し、法的に離婚をしなくても、ちょっとした感情の行き違いから離別することはあった。夫の、意思で、妻の家に通わなくなったりした場合である。妻も夫との情交が薄れたり、夫の離別・死別などの時には、他の男に逢うのが常であった。(割に流動的?)

 若紫(紫の上)は10歳で、源氏に拉致同様に北山から二条院に連れて来られ、約4年間親子の様な生活が続いた。が正妻「葵の上」の没後、49日が過ぎ程なくして、源氏と紫の上は夫婦の関係になる。源氏22歳、紫の上14歳の時である。どれほど若紫にとってショックだったかが想像できる。

 幼い時からの習慣で、ずつと一つの帳台の中で一緒に寝ていたので、人の目にはいつからそういう仲になったと、はっきり見分けられるような間柄でもないのだが、或朝、源氏だけが早く起きて、紫の上は一向に起きてこないことがあった。原文に「男君はとくおきたまひて、女君はさらに起き給わぬあしたあり」とあり、その事を一行で暗に示している。紫式部の筆の冴どころである。ただ、この時点で若紫の裳着が済んでいなかった。それで新枕の直後に裳着が執り行われたのだが、順序が逆になったことが、紫の上の身分の不安定さを招いたとされ、正妻ではなく正妻格に甘んじざるをえない?原因となったとの議論あり。

 今だから言える  ikekazu  2021年8月21日(土) 11:11
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「今だから」との前提条件で言えることがあります。と言っても、べつに他人の秘密を暴露する類のものではありません。

 私達夫婦には子供が二人。長男は昭和42年、次男が昭和48年生まれ。従って昭和55年頃までが子育てで一番大変でした。食べ物で好き嫌いがあれば、”それを食べんと大きくなれへんよ”と煽てたり、脅かしたりしながら何とか食べさせたり、次男が生まれると愛情を奪われると思った長男が「へんねし(嫉妬)」を起こしたり、物を取り合って喧嘩はする、病気はする、怪我はする等々、毎日が「ドタバタ劇場」であった。

 兎に角妻には毎日が戦場(私は日中会社へ逃避?している)だった筈。しかし今振り返って、どたばたと時間に追われながら、もがいていたその頃が一番充実した毎日だった。また一家四人で食事が出来た期間が一番楽しい季だったと今にして思える。つまり今だから言えるのである。当時心中では「早く大きくなってくれないか」と念じていたのだから。

 8月10日付「折々の言葉」から。「今を生きるの難しすぎるわ。仙人やわ。」山本ゆり。鷲田清一さんの解説は、若し目の前のことしか考えずに「今を生きる」ことができたら、ストレスも激減するはずと料理コラムニストは言う。が、子どもがぐずっている最中に「こんな日々も宝物ね」とは到底言えない。それに気づいたときはそんな足掻きも終わっている。

 私が長々と書いたことを山本ゆりさんは僅か2行で言い表している。それにしても何と正直な方だろう。

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