八尾ニューモラル生涯学習クラブ掲示板投稿検索

 「源氏物語」の思い出K  ikekazu  2021年9月9日(木) 9:16
[修正]
 以前、平安貴族は「噂」を非常に気にすると申し上げました。原因としては@平安貴族の生活範囲が「平安京=東西約4.5キロ、南北約5.2キロ」という非常に狭い地理的条件下にあった。それに加えるに、A身分の釣り合いを何よりも重んじるから勢い結婚相手は狭い貴族社会から選ぶことになり、近親結婚が多かった事も関係? B結婚では無くても、手繰っていけば何らかの関係にぶち当たるという人のつながりにも原因があるかも知れません。

 登場人物で見て行きましょうか。光源氏の正妻・葵の上は従姉弟夫婦(光源氏の父は桐壺帝で、葵の上の母は桐壺帝の妹)。夕霧と雲居雁はいとこ同士(夕霧の母・葵の上と雲居雁の父・頭中将は姉・弟)。光源氏の二度目の正妻・女三の宮は源氏の姪(異母兄・朱雀院の内親王)と言った具合です。

 光源氏が母・桐壺更衣の形代として恋い慕い、求め続けた「藤壺中宮」は、継母であり、33年間連れ添い最も愛した正妻格・紫の上はその藤壺の姪に当たります。三人共容貌がそっくりだったと述べられています(求め続けた要因)

 噂を気にしたということでは、葵の上は源氏より4歳上、六条御息所は9歳上で、二人共、源氏より年上である事にコンプレックスを感じていたようです。源氏と葵の上の仲がしっくりいかないのもその辺りかも知れません。六条御息所も、源氏が自分の所に通って来ないのもこの年齢の差故と巷の噂になるのを気にしていたのです(明石の君が源氏の妻になる事を躊躇したのは、将来源氏が通って来なくなった時、身分差で噂される事だった)。

 捨てることの難しさA  ikekazu  2021年9月8日(水) 9:54
[修正]
 私が先人・先輩たちに頭を垂れざるを得ないことの一つは、とても多くの言葉を遺して貰った事です。手元の「広辞苑」には、何と約26万語が収録されているそうです。語彙が豊富ということは、それだけわが先祖は、心が繊細で想像力が逞しく、かつ創造力に長けていたからでしょうね。その広辞苑によれば、

「捨てる」不用のものとして物を手元から離す。
「片づける」散乱したものを整える。整理する。俗に、邪魔になる人を除く
とあります。が、両者は少し次元の違う言葉かと思うのです。捨てるに近いのは「手放す」になるのかな?

 処で、私の記憶が正しければ、作家の曽野綾子さんがどこかで書かれていたのは、遺族が遺されて困惑する物のトップ2は、日記と写真だそうです。その理由は、これらは遺族が処分するには心の荷が重いからだと言う事でした。だから生前に処分しておきなさいと。皆さんどう思われますか。

 では本題。最も捨てると言うより手放すことの難しさになるのかも。レジ袋です。我々は何時頃この便利な物を手にしたのでしたかね。昨年7月レジ袋が有料化され、ス−パやコンビニで受け取る人は極端に減ったそうです。その事だけを見れば大成功ですが、逆に100円ショップのダイソ−では店頭に陳列すると、直ぐ売れる品薄の状態が続いている由。これではレジ袋の消費を減らす本来の目的には適っていません。尚レジ袋の有料化で不都合に思う理由として、一番多かったのが、レジ袋をごみ袋として使用しているからが38.5%でした。現在では日常生活でレジ袋を手放すのが難しい生活様式になっているのですね。

 「源氏物語」の思い出J  ikekazu  2021年9月7日(火) 10:13
[修正]
「大地の子」「華麗なる一族」「二つの祖国」これらの小説は、故・山崎豊子さんの作品である。全て三部作であるが、どれもほぼ一気に読んだ記憶がある。それほど惹きつけた。いわゆる「社会派小説」と呼ばれ、史実と虚構を綯交ぜにしたもので想像をかきたてた。『源氏物語』も、史実に虚構を混ぜた物語であり、きっと女房達に、”この話はあの時のあの人の事ではないの?”と話題沸騰だったのではあるまいか。

(実話)道長は娘・彰子を一条天皇へ入内させるべく動いていた。道長が彰子の為に用意したのが和歌屏風。絵師・常則の手になる四尺屏風には「色紙形」という空白があり、そこに載せる和歌を公卿や殿上人達に命じた。選んだ作品と作者名を書いたのだが、肩書は付けず呼び捨てのように記して、彼等とは一線を画する自分(道長)の優位を示したと言われる。

 初めて天皇が彰子のもとを訪れることになり、道長は華やかな宴を催して貴族たちを招いた。その時接待役を務め、杯に酒を注いでまわったのが、紫式部の夫・藤原宣孝であった。やがてその妻が、筆一本で身を立て、後宮で彰子を支える存在になるとは、その夜の誰も想像すらしていなかったに違いない。

『源氏物語』第32帖「梅枝」では、光源氏が、東宮へ嫁ぐ明石の姫君に持参させる調度や草紙の用意に没頭しています。例えば、薫物や嵯峨天皇が書いた『古万葉集』や醍醐天皇による『古今和歌集』を蛍の宮から譲り受けたり、又家柄や身分に配慮して、草子(冊子)や巻物を書かせます。

 紫式部が夫・藤原宣孝から聞いた、彰子入内の折の話を、源氏物語に採り入れた事は明白です。だから面白く勉強になるのです。彰子も明石の姫君も同じ11歳でした。

 捨てることの難しさ@  ikekazu  2021年9月6日(月) 11:10
[修正]
 笑わないで下さいね。平均寿命からもうそろそろと考え、身辺整理を始めた。いわゆる断捨離であるが、これが何とも難しい。物を集めるより捨てることの方が数倍難しいと実感している。思うに、これは、物のない時代に生まれ育ったことが大いに影響しているのではなかろうか。悲しい性である。

 手持ちの本や資料から始めているのだが、本は100冊程残して八尾図書館へ持参する予定だった。2回ほど訪問して了解を貰ったのだが、・コロナ感染の拡大。・運搬手段の問題等で現在中断したままになっている。(古紙回収時80冊ばかりはだしたが)。月刊誌の「致知」は6年分を古紙回収時出した。資料で言うなら、私の大好きな司馬遼太郎記念館の講演会(多くの
名士が講演に来られた)の案内カタログや講演内容が載った季刊誌共に約12年分もかなり思い切って古紙回収に出せた。それを含め処分出来たものは全体の1/30にしかならないのではなかろうか。原因は、清水の舞台から飛び降りた積りになれないからである。 

 森喜朗元首相や野球評論家の張本勲さんは私とほぼ同年輩である。そのお二人の発言が大反発を受けたことは記憶に新しい。私が思うにお二人は、長い人生で培ってきた自分の信じる「価値観」を述べられたのだと思う。これが時代に合わなくなってきたのだ。自分を振り返って、身に付いた価値観はなかなか捨てられないのだ。ペテン師は別にして、普通我々は、心に思っていないことは口から出ない。お二人は誤って発言したのではなく、思っていたことがそのまま口に出たと思う。だからお二人共今でも”自分の言った事は正しかったのになあ”と嘆いておられるのではあるまいか。

 「源氏物語」の思い出I  ikekazu  2021年9月5日(日) 9:18
[修正]
「雲居雁」も大好きです。彼女は、父・内大臣(頭中将)、母・按察使大納言の北の方との娘。夕霧は、父・光源氏、母・葵の上で、葵の上と内大臣は姉弟です。共に祖母は大宮。二人共三条で大宮に養育される。

 雲居雁が夕霧より二つ年上。幼い時から同じ邸で育てられ、じゃれ合っていた中ですが、歳と共に恋愛感情が芽生えます。内大臣は、雲居雁を東宮の妃にと考えていたので激高。二人は引き離されますが、その後内大臣も考えが変わり夕霧17歳、雲居雁19歳の時に結婚を認める。故・大宮の三条宮に移り住む。

 仲の良い夫婦でしたが、夕霧が朱雀院の二の宮(落ち葉の宮)にうつつを抜かすと、雲居雁の心中は穏やかで無くなり、ど派手な夫婦喧嘩をしたり、実家に帰ったりとホ−ムドラマみたいです。円地文子訳を載せておきます。夕霧が落ち葉の宮の一条から自宅のある三条に帰って来た時、雲居雁が浴びせた言葉です。

「ここをどこだと思っておいでになりましたの? 私はもうとうに死にました。いつも鬼、鬼、とおっしゃいますからいっそ鬼になってしまおうと思って」「お立派に様子をつくって浮き浮きしていらっしゃるあなたのようなお方の側に、私なんかとてもご一緒にいられそうもございませんから、どこへなりと行ってしまおうと思います。もうこんなふうであったなどと思いださないで下さいましね。わけもなく長い年月を連れ添っていた事さえ口惜しくてたまらない」「何をおっしゃるの。おとなしく死んでおしまいなさいな。私も死にますわ」

 夫にこんな暴言を吐く女君は『源氏物語』では、他にいないのです。

P1 P2 P3 P4 P5 P6 P7 P8 P9 P10 P11 P12 P13 P14 P15 P16 P17 P18 P19 P20
全 100件 [管理]
CGI-design