八尾ニューモラル生涯学習クラブ掲示板投稿検索

 紫式部は何を伝えたかったのかC  ikekazu  2021年6月7日(月) 11:28
[修正]
 六条御息所の登場です。御息所とは皇太子や親王の后の事で、六条に住んでいる御息所の事です。此の女君は先の東宮の后でしたが死別。身分(元皇太子妃)、教養、経済性(六条に大きな邸宅)、美貌等全てが申し分のない24歳の未亡人で、彼女の邸は、若き貴公子たちが集まって来る一大サロんになっていました、(最高の境遇ではありませんか)

 若き貴公子たちの中に光源氏もいました。(とけがたかりし御気色=なかなか御心を許そうとしなかった)御息所を口説き落とした光源氏(17歳)でしたが、何故かその後光源氏は段々と通わなくなります。どうやら御息所の理知過ぎる性格に光源氏は重いものを感じたのかも知れません。(御息所は苦悩=ストレスの始まりか)。

 遡る事5年、光源氏(12歳)は左大臣の娘・葵の上(16歳)と結婚していた。光源氏22歳の時、@新斎院の禊の日、葵の上の一行と六条御息所方との間に車争い(車を止める場所をめぐって)。この後六条御息所の物思いは一層募りました。そうして葵の上が物の怪に悩まされる日が続く。A加持祈祷を続けるとそれは六条御息所の「生霊」であることがわかる。葵の上は何とか男児(後の夕霧)を出産、が間もなく息を引き取ります。(六条御息所の執念深い事よ)

 素晴らしい境遇にありながら、六条御息所が苦悩と悲運に見舞われ続けたのは、彼女の性格が持たらしたのでしょうか。不思議なのは、上の様な事があったにも関わらず、その後も光源氏と六条御息所の関係は彼女が亡くなるまで切れずに細々と続くのでした。私にはちょっと理解しがたいのですが。

 大いに納得  ikekazu  2021年6月5日(土) 10:48
[修正]
 最近の一連の報道で大いに納得がいきました。

 世界の文明は、20年前アメリカのサムエル・ハンチントンが、世界は8つの文明に分けられると発表する前は、4大文明でした。即ち、エジプト、メソポタミア、チグリスユ−フラテス、黄河文明です。私も小学生の頃にそう習った記憶があります。それをハンチントンが、西欧、東正教会、ラテンアメリカ、ヒンドゥ−、アフリカ、イスラム、中華、日本文明の8つだとしたのです。

 そして、ハンチントンは、「日本文明」こそ独特で日本一国で成り立った文明だと述べているそうです。他の文明は一国ではなり得ない広範な地域社会の集合した文明であるのに対して と。

 最近の報道に依れば、北海道と北東北に広がる縄文遺跡群を、世界文化遺産へ登録するようユネスコに勧告されたとのこと。縄文時代は1万数千年前に興り、約1万年続いたと考えられています。縄文時代の特徴は「狩猟採集を基礎にしながら、竪穴式住居などで定住を確立、生活の拠点のムラが出来た」としています。世界では、狩猟と言えば、獲物を求めて次から次へと移動して行く、即ち遊牧が基本だったのに、日本では「狩猟で定住」という、世界史上類を見ない文化だったことになります。ハンチントンの説の正しさが納得です。

 大いに納得すると同時に誇らしくなってきます。

 紫式部は何を伝えたかったのかB  ikekazu  2021年6月3日(木) 10:32
[修正]
 今回取り上げるのは弘徽殿大后です。個性のはっきりし過ぎた?女性として、読者には余り受けは良くありません(最もファンもいます)。当初は弘徽殿女御として登場、桐壺帝の正妃です。出自は右大臣の娘で、後に出てくる朧月夜の姉です。後見にはどこにも引けを取りません。桐壺帝との間に第一皇子を儲けています。後東宮から朱雀帝になる皇子です。このまま進めば、何ら問題はなく、従って源氏物語は生まれません。そうならないのが世の常、そして男女の仲といえるでしょう。

 正妃であるのに、帝が後で入内した桐壺更衣を偏愛することになり、自分がなおざりにされ心穏やかではありません。更に帝と桐壺更衣との間に異母弟になる第二皇子・光源氏が生まれました。弘徽殿女御としては、出自(実家)も問題なく、長男(第一皇子)を産んだというのに、帝の心が桐壺更衣や光源氏に向いている状況はプライドが許しません。又光源氏に比べて凡庸なわが子がひょっとして・・・・との不安もよぎります。

 時代が下り、わが子が無事桐壺帝を継ぎ朱雀帝に就いた後、光源氏(26歳)は妹の朧月夜との密会の場を見つけられ、弘徽殿女御は”待ってました”とばかりに問題化。光源氏は全ての官職を剥奪。愛しい女君達を都に残し須磨へ隠棲することになりました。(この時の弘徽殿女御の心境は何故か物語には出てきません)。

 朱雀帝の母として絶頂期を迎えます。では幸せな人生だったのか?

 悪妻伝説  ikekazu  2021年6月1日(火) 10:48
[修正]
 ソクラテスと言えば、世界の四聖人と称される(他に、釈迦、孔子、キリスト)中の一人。でも、私が知っている事と言えば、@「悪法も法である」と、弟子たちに、役人に賄賂を握らせての出獄を勧められたにも関わらず、毒杯を呷って刑死したこと。A奥様が稀に見る悪妻であった事 だけであると白状しておきます。

 さて、最近仲間で冊子「モラロジ−概論」を教材に、ズ−ムでの勉強会をしているのですが、先日、56ペ−ジに「諸聖人は、日常生活での生き方の指針にとどまらず、魂の救いまで含めた『生きる意味』を人類に教えました」の個所で、”思いだし笑い”をしてしまった。

 何を思いだしたか、それは心の生涯学習誌「れいろう」3月号に引用されていた、ソクラテスの言葉です。その言葉とは「もし君がよい妻をもてば幸福になるだろう。もし悪い妻を持てば、哲学者になれるだろう」です。何と見事な生きる意味!

 世界の文豪・トルストイもわが夏目漱石も奥様は良妻ではなかったなどと流布されていますが、果たして真実はどうだったでしょうか。夫婦の事は夫婦にしか分からないと言い、「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とも言われますが。

 紫式部は何を伝えたかったのかA  ikekazu  2021年5月30日(日) 10:30
[修正]
「源氏物語」は物語であって歴史書ではありません。でも本当に当時の多くの事を教えてくれます。前回@では桐壺更衣を書きましたが、その中で学んだことは、・平安時代にも虐めやストレスがあった。・一夫多妻制の下では、帝と言えども、偏り過ぎた愛し方は駄目で、公平に妻妾(中宮、女御、更衣)を愛さねばならない。・親にとっての子どもは可愛くも心配な存在(今と同じ)だった。

 さて、今回は、藤壺女御です。桐壺帝の先帝の四の宮で、故・桐壺更衣に非常に似ていた事から入内。桐壺帝は大喜び。(紫式部がこの物語で良く取り入れた「形代」=「身代わり」の手法。宇治十帖にも出てきます)この似ていた事が悲劇の始まりです。

 桐壺帝は光源氏を猫可愛がりしていた事から、彼を手元(宮中)に置いておくことが多く、その結果、光源氏が藤壺女御を目にする機会が増え、亡き母とそっくりと言われる藤壺女御に恋慕。その結果過ちを犯す事になる。

 光源氏(18歳)と藤壺女御(23歳)との間に不義の子が生まれます。桐壺帝の第10番目の皇子(後の冷泉帝)です。桐壺帝は勿論不義の子である事を知りません。藤壺女御は二人の秘密が世間に漏れないかと不安の日々を過ごすのです。また、藤壺女御は、光源氏の思慕に思い悩み、ついに出家を遂げます(29歳)。病気が進み重篤となり、わが子冷泉帝(14歳)に看取られながら37歳で崩御。 光源氏は独泳歌を詠みます。
「入日さす峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に色やまがへる」

 藤壺女御は果たして幸せな一生だったでしょうか?

P1 P2 P3 P4 P5 P6 P7 P8 P9 P10 P11 P12 P13 P14 P15 P16 P17 P18 P19 P20
全 100件 [管理]
CGI-design