八尾ニューモラル生涯学習クラブ掲示板投稿検索

 労使関係  ikekazu  2021年10月23日(土) 10:29
[修正]
 日本39.8%、独13%、仏15.8%、英6.4% これは何の数字でしょうか。

 今から30年位前の日本の労使関係を、会話調で表せば、会社(経営者)「あなたの面倒は一生見るから頑張ってくれ」、従業員「はい分かりました。一生懸命会社の為に尽くします」ではあるまいか。いわゆる日本独特の「終身雇用制」である。日本が飛ぶ鳥を落とす勢いだった時、米国の参考にと調査した故・ヴォ−ゲル博士は、それを要因の一つに上げていた。

 冒頭の数字は、「非正規労働者の割合」である。これが事実なら、日本の企業には、正社員が6割しかいない。これでは終身雇用制という言葉を使うのは些か憚られるようにさえ思われる。かって、松下幸之助さんの、どのような不景気な時でも一人の解雇もしないとの言葉が懐かしい。

 最近も、大手企業S社の社長が、45才定年制と受け取られかねない発言をし、マスコミを賑わし、後日、本意が伝わっていないと弁明していた。しかし本音は、”45才以上で実力のない方は辞めて頂きたい”ではなかろうか。もう労使間でお互いを思いあうの精神は薄れてきているのかな。

 この傾向は、バブルが弾け、世界でグロ−バル化が叫ばれ出した時期に一致する。経営者は、終身雇用制では世界で勝負できないと考え、徐々に今の方向に動きだした。にも拘らず、日本企業の競争力がその後もどんどん落ちて行っているのは何故だろうか。気になる。

 先輩の申し伝え  ikekazu  2021年10月22日(金) 23:10
[修正]
 総選挙が公示され、早速近くのコンビニ前に某候補が来ていた。私の選挙区は3人。皆さん頑張って下さいね。急に寒くなったので風邪をめされませんように。

 今回立候補せず引退する大物政治家がいる。そのお一人、伊吹文明元衆院議長(83)が、新聞のインタビュ−に答えておられる。以下抜粋する。

 〇保守とは、基本的には非常に謙虚な政治思想だと思う。人は間違うものだから、人が一人で決めたり、政党が排他的に決めたり、独裁者が一人で決めたりすることは極めて危険だ。他の意見に対して寛容であって、いろいろな意見を認めるというのは保守の必要条件だ。

 〇国会は主権を預かっている唯一の国家機関。国会が指名するから内閣ができる。だから内閣は国会に対していろいろな説明をして、承認を得なければならない。国会軽視は国民を軽視するということと同じだ。

 ご意見はごもっとも。氏は現役時代、大先輩・党の重鎮としてこの事を、安倍・菅内閣に直言して貰ったのだろうか。このご意見と過去8年余の政治は少しずれていたように見えるのだが。

 〇「政界引退」という表現を否定していますが、その真意は?と問われ、「人間として生きている限り浮世を引退するわけにはいかないからね」。この言葉で浮かんだのが紫式部の一首、「いづくとも身をやる方の知らねば憂しとみつつも永らふるかな」と、雑誌致知にあった「人生という河を最後まで泳ぎ切る」です。

 孤独死  ikekazu  2021年10月21日(木) 10:02
[修正]
「大勢の人の中で生活すれば安全だ」これは私達の錯覚ではなかろうか。過疎地で暮らす人は助けを呼ぶことは大変だが、街中で近くに人が多い場合、いざという時呼べる、助けを求められる、だから安心だと思うのは自然である。しかし現実はそうでないことが多い様だ。

 A新聞に依れば、寄り添って暮らす夫婦や親子、兄弟が、共に自宅で遺体となって見つかる例が最近多いそうだ。 事例@93歳の認知症の母と、その母を介護していた68歳の娘。娘が病気で先立ち、母は助けを呼べなかったと見られる。A67歳の夫婦。夫が冬場に急死し、足が不自由な妻が残され、低体温で亡くなった。介護する側が何らかの理由で急死し、残された側も力尽きる、安心だと思われてきた2人世帯で、こうした事案が相次いでいる。
 
 私が住む○○○5丁目自治会は約300戸あり、ご多分に漏れず高齢化が進んでいる。又民生委員さんにお尋ねした処では、34〜5人の独居老人がおられる由。二人世帯が何軒あるかは聴き漏らしたが、上の新聞での話では、「高齢者が多すぎて、2人世帯まで見守るのは難しい」と民生委員の方が訴えていたそうだ。

 高齢者同士の「老々介護」や「ひきこもりの子や障害のある子を高齢の親やが支える「8050問題」など、長命という幸せをもたらした正にその反対側では、深刻な問題も進んでいる事を我々も知らねばならない。そして、孤独死は一人暮らしの高齢者だけの問題ではなく、2人世帯でも起こりうることを。

 長命にも裏表がある。

 歴史に学ぶことの難しさ  ikekazu  2021年10月20日(水) 15:58
[修正]
 国が滅びる要因の一つに「歴史に学ばない」を前回取り上げた。処で、歴史に学ばなければならないと言われ続けてきているのは、「歴史に学べない」や「歴史に学ぶことは難しい」の裏返しではないだろうか?

 アメリカは今年の8月、20年間にわたるアフガニスタンへの介入から漸く離れることが出来た。途轍もない大きな犠牲を払いながら失敗に終わったのだが、この事で米国は歴史に学ばなかったと指摘されている。その歴史とは、1995〜1975年のベトナム戦争を指すと考えられる。米国はアジアでの共産化を阻止するとしてベトナム内戦に介入。アフガンと同じく20年間を掛けたがどうにもならなかった。一時米国は茫然自失の態だったと言わた。それもその筈初めての敗戦体験だった。アメリアカは、アフガンへの内政介入で、本当に「歴史の教訓」に学ばなかったのだろうか。

 そこで私が思いついた事がある。アメリカはベトナム介入前に日本で介入し成功している事を。先の大戦で米国は日本を完膚無きまでに叩き、その後8年弱の日本統治(介入)では、日本を思い通りにした。反乱・暴動も起らなかった。アメリカはこの成功が戦争の歴史として、頭から離れないのではなかろうか。

 そう、米国は「戦争の歴史に」間違いなく学んでいた。但し、それは日本での「成功の歴史」であり、ベトナムでの「失敗の歴史」ではなかったという事なのだ。

 人や国は、困難に直面した時ほど、挫折や失敗に学ぶことを忌避し、成功の記憶に逃げる愚行を繰り返すという教訓を忘れるものなのだ。

 歴史の必然性  ikekazu  2021年10月19日(火) 20:39
[修正]
 釈迦、孔子、ソクラテス、キリストは世界の4聖人と呼ばれるが、キリストを除き他の3人は、ほぼ同時代の今から2,600年前頃に生まれている。ある時、「何故3聖人がほぼ同時代に現れたであろうか」という話題になった。何か必然性があったのだろうかと?

『源氏物語』という古典の金字塔を打ち立てた紫式部。紫式部と時を同じくして、清少納言、和泉式部が世に出ていて、王朝文化に花を添えた。何か必然性があったのだろうか?

 私は、この様な説明のつかない時は、何時も「時代が求めたから」と考えることにしている。聖人が現れる前、どの地でも、世は乱れ、恐らく我々の大先輩達は生きることに疲れ、教え・救いを渇望していたのでは無かったろうか。処で、私が不思議に思うのは、聖人の現れるほんの少し前、今から2,681年前に神武天皇が橿原の地に国を建てたことである。古事記に関わった太安万侶等は、既に4聖人の事は知っていたのであろうか。

 王朝文化の彩には紫式部、清少納言、和泉式部の3人がどうしても必要だったのではあるまいか。尚、紫式部日記では、和泉式部や清少納言の事を辛辣に悪口を言っている由。「和泉式部は歌はうまいが、品行が悪いとか、清少納言は、得意がって漢字を書き散らしているが、良く見れば大したことはない、思い上がっていい気になっているが、どうせ末は惨めに落ちぶれるだろうなど、憎らし気に書いているらしい。瀬戸内寂聴さんは「和泉式部や清少納言は、紫式部に感情的な悪口を書かせるほど、無視しきれない才能があったということではなかろうか」と仰っている。何れにしろ良きライバルであったことは間違いない。

P1 P2 P3 P4 P5 P6 P7 P8 P9 P10 P11 P12 P13 P14 P15 P16 P17 P18 P19 P20
全 100件 [管理]
CGI-design