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 今どうしているだろうか  ikekazu  2021年7月28日(水) 13:50
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 10年前までの5年間、小学校の受付員をしていた頃の話である。特別学級に一人の男の子がいた。初めて出会ったのは私の1年目、児童は確か2年生だったと思う。必ず授業の途中で抜け出してきて、校門の辺りを走り回るのであった。担当の先生(女性)は多分50歳代だったと思うので、動きについて行けず苦労されていた。その児童が校門から出ることがあれば、交通事故の心配もあり我々も少し緊張した。その子は「発達障害」で多動症とお聞きした。

「ニトリ」を一代で売上高7千億円の企業に育て上げたのは、会長・似鳥昭雄(77)氏である。先日の新聞に自分は「発達障害」である事が専門の医師により分かったとあっけからんと紹介されていた。現在の状況を次のように述べておられる。「注意力が散漫なんです。今でもそうですけど、人の言っている事をずっときけないんです。整理整頓もできなくて、机の上は書類だらけ。なくし物も多くて、身につけるありとあらゆる物をなくします。カバンも忘れてきちゃうので、もうポケットに入れるしかないんです」朝日新聞7・21付。

 小学校4年生になっても自分の名前を漢字で書けず、成績は何時もビリだったそうです。奥様から「あなたは誰でもやれるような事はやれないで、誰もがやれないことがやれる」とも。要は、自分は何が得意かを見つけることだと言っておられる。その為に色々な事をやって、自分で見つけることだと。

”ニトリの会長が『発達障害』なんて信じられない”となるのですが、神様から、誰にでも一つか二つのやれること・長所を与えて貰っているのではないでしょうか。非常に勇気づけられるお話です。さて、あの児童は今では22,3歳になっていると思うが、どのような青年になっているだろうか。元気にしているだろうか。

 紫式部は何を伝えたかったのか22回  ikekazu  2021年7月27日(火) 10:43
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(知識の栞)光源氏の子どもは3人である。数が少ないと思いませんか。あれだけ多くの女君と契りを結んだ人にしては。処で昔宿曜の占いで、「お子は三人、帝后並びたち、中の劣りは太政大臣」とあった。何故3人だったかの私の考えは後の機会に述べたいと思います。

(明石の君) 光源氏29歳。2月不義の子が東宮に。程なく朱雀帝退位、東宮が冷泉帝として即位。(宿曜の占いの一つが見事に当たり!)3月に明石の君が姫君出産。この事を光源氏は紫の上に明かします。「欲しいと思うところにはできないのに、ものごとは上手くいかないものですね、でも放っておけなくて、呼び寄せたら憎まないでやって下さい」「女の子だから、実につまらない」=これは源氏の大嘘、「いつも私を焼き餅焼き扱いなさって」(紫の上)(現在では考えられませんよね。即離婚でしょう。何とも勝手な光源氏よ、そして紫の上の健気さよ)

 光源氏31歳。上京を躊躇していた明石の君ではあるが、遂に明石入道を残し、明石の君と尼君が上京。大堰の邸(明石入道が以前土地を所有していて、邸を管理させていた。現在の嵐山辺りと推測される)に入る。光源氏は口実を設けては大堰に赴こうとするが紫の上は不機嫌になる(当然ですよね)。

 12月雪の降り積もった朝、その雪が溶けた頃、光源氏は明石の姫君を迎えに来ます。母親との別れです。幼いわが子を手放す明石の君の心境はどのようなものだったでしょう。「末遠き双葉の松に引き分かれ、いつか小高き影を見るべき」(明石の君)。姫君は二条院に着き、最初は母君を求めたものの、直ぐに紫の上になつくのでした。

 国民の怠慢ではなかろうか?  ikekazu  2021年7月26日(月) 10:57
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 今日本は大きな事案に直面している、いや戦っているといったほうが合っているかも知れない。一つはコロナ禍、もう一つは東京五輪対策である。間違えれば取り返しのつかないことになる大きな事案。にも関わらず、今の政治の世界を見れば、正に「政局」そのもの。どこそこの選挙区の候補者選定で、分裂選挙になるかも知れない云々。もう選挙モ−ドだ。

 半年ほど前新聞に載ったものの記事を呼び戻している。それは仏文学者の話であった。「私の父は、今の自民党はなってない、某議員はけしからん、あの政策はおかしい等々、毎日のように自民党の悪口を言っていました。しかし、選挙では必ず自民党、自民党議員にせっせと一票を入れていました」。これほど今の日本の政治を的確に表しているものが他に有るでしょうか。

 自民党の皆さん、貴方たちは引き算で選ばれた党・議員ですよ。どうか肝に銘じて於いて下さい。そうして野党の皆さん、政権を取るのには程遠い状況を反省して頂かねばなりません。

 しかしよくよく考えて見れば、我々に大きな責任がある。それは政権をいつでも取って代われる、即ち拮抗するもう一つの政党を生み出していないことである。私の感じでは「国民に時間をかけて育て上げようという気が無い」ことが一番の原因かも知れませんね。とすれば悪いのは政党・議員ではなく国民となります。よく言いますよね。「国民の能力程度のリ−ダしか生まれないと」と。

 紫式部は何を伝えたかったのか21回  ikekazu  2021年7月25日(日) 9:15
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(知識の栞)平安時代の結婚生活は、基本的には男が女の元に通う「通い婚」であった。夫婦が独立して住居を構える事もあったが多くはない。「源氏物語」では、光源氏が別に住む妻たちの元に通うことになっている。妻の方から光源氏を訪ねるシ−ンは一度たりともない。と言う事は、妻たちは只々待つだけで、光源氏が来なければ二人が会うことはないのだ。妻たちにとってこんな不安な事はない訳である。

 末摘花は光源氏が須磨に流謫していた2年強を含めて4年間、全く忘れ去られていた。光源氏が帰京後、花散里を訪ねて行く途中ふと思いだして末摘花を訪れた。末摘花はただただ光源氏を信じて貧しい中でひたすら光源氏を待っていたのである。光源氏は大いに感激、末摘花はその後二条東の院に引き取られ不自由なく暮らす事になった。

「明石の君」その三。此の結婚生活の形が、明石の君が光源氏のラブコ−ルに中々イエスと言わなかった理由である。即ち、明石の君はたかが受領の娘、一方光源氏は須磨へ流離した時は、無位・無冠だが、故・桐壺院の皇子、身分が違い過ぎる。今は愛してくれたとしても、将来、自分を人の数にも入れてくれないに違いない。結婚後程なく忘れられるだろう。そして世間で笑われるだろう。将来その様な悲しい思いをしたくない と思ったからなのだ。真に冷静な判断なのである。

 しかし結局、光源氏27歳と明石の君18歳は8月に結ばれ、翌年6月、明石の君に懐妊の兆し、まだ誰も知り得ないけれども、明石の君の栄光への道のりが始まることになります。光源氏は7月に帰京。

 黙々と  ikekazu  2021年7月24日(土) 10:34
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     黙々と朝起いでて
     黙々と朝餉の用意
     黙々と二人で食べ
     黙々と妻の用事を

     黙々と文句を受け
     黙々と後片付けを
     黙々と新聞に目を
     わが家の朝の風景。

     でも、
     「この黙々と」が厳しくなってきた
     歳のせいにしたくはないが
     歳のせいだ。(和)

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