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 故郷の山・田上山  ikekazu  2021年6月17日(木) 14:23
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 先日の投稿「ユニ−クな京阪電車」の中で、わが幼少のみぎりの情景紹介を、「山と空と田んぼを見る毎日でした」と書きましたが、その山とは、田上山(たなかみやま)です。

 新聞の特集で、次の様な記事がありました。”琵琶湖汽船が4月24日、初めて取り組んだ万葉集クル−ズ。大津港から出港し、逢坂の関や唐崎、田上山など万葉集故地を湖上から眺め、朗唱と解説を楽しむ”と。そうです、遠慮していましたが、わが山・田上山は古代から歴史的に有名なのです。

以下に田上山を取り上げた和歌や俳句を挙げておきますので、古代・中世の近江の匂いを少しでも感じて頂ければ嬉しいです。(最後の2首は別です)

・「木綿畳(ゆうだたみ)田上山のさな葛ありさりてしも今ならずとも」万葉集(巻12 3070)読み人知らず。 意味は、「木綿畳を田上山に捧げ、さな葛のようにこのまま無事に生き延びて逢いたい。今でなくとも」

・「谷上の山の木の葉に時雨して勢多の渡は秋風ぞ吹く」
中務(なか つかさ)夫木和歌抄
・「衣手の田上山の朝霞立ちかさねてぞ春もきにけり」
藤原為氏(続千載和歌集)
・「秋風や田上の山の窪みより」尚伯(蕉門の句)

「故郷の山にむかひて言う事なし故郷の山はありがたきかな」石川啄木
「深々と今も鳴いてか故郷の静けき山よ寝間の思い出」(和)

 紫式部は何を伝えたかったのかE  ikekazu  2021年6月15日(火) 11:40
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「更級日記」の作者・菅原孝標女は、『源氏物語』を読む楽しさに比べたら、「后の位もなにかはせむ」と言っている。それほど彼女は「源氏物語」に魅せられた。そして登場する女君のなかで憧れたのは、夕顔と浮舟である。

 今日はその中の夕顔を採り上げます。(その一)現代でも夕顔のファンは多いと思われるが、その原因は、その儚さにあるのではなかろうか。夕顔は頭の中将(左大臣家の長男)と光源氏の二人に愛された。二人は天下の人気を二分する美しい貴公子であり義兄弟であり、そして永遠のライバルでもあった。

 ある日、光源氏17歳は六条に住む六条御息所を訪れる途中、休み処として、見舞いを兼ね五条の乳母のところへ立ち寄ろうとした時、乳母家の隣の家が目に付いた。簾の間から美しい女たちの顔がこっちを窺っているではないか。(好奇心の旺盛な光源氏が見逃す筈がない) 板囲いのところどころに、青々とした蔓草が這いのび。白い花がひっそりと咲いていた。その花は「夕顔」。それを「一房折ってまいれ」と命じられた家来が門を入ると可愛らしい女童がでてきて、白い扇に濃く香をたきしめたものを差し出し、「この上にのせて差し上げて下さい」という。(夕顔は蔓が扱いにくいという)

 光源氏が後でその扇を開いてみると、「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」と書かれていた。もしかして夕顔は光源氏の事を知っているのだろうか。 −続く−           (ikekazu)

 〇〇〇らしく  ikekazu  2021年6月13日(日) 8:59
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 世間には、普段何も疑問を抱く事もなく見過ごしている事が一杯あるのではなかろうか。特に私が如き浅学菲才の身では。疑問を抱かないと言う事は、言い変えれば、@それで良いと考えている事であり、Aそれはそうだろうと思っていることでもある。

 新聞に40代の女性から、「男らしく」「女らしく」「大人らしく」「子どもらしく」に束縛されることなく、これからの人生を歩んで行きたいとの投書があった。その趣旨は「〇〇〇らしく」あらねばならないの押し付けは駄目だと言うことだろうと私は解釈した。

 そして思ったのは、「〇〇〇らしく」は悪いことだろうかと。押し付ける事はどうかの議論は別にしてである。私は今まで悪いことだと思った事は一度たりともない事を白状しておく。

 この問題で頭を抱えていたら、真に偶然にある教えに出合いました。それは明恵上人の言葉です。 「人は阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)という七文字を持つべきなり」「僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。乃至、帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。此のあるべき様を背く故に、一切悪しきなり」。

 投書に接した時の私の心境は、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」(連合国最高司令官、元帥・マッカ−サの退任演説から)でした。

 紫式部は何を伝えたかったのかD  ikekazu  2021年6月11日(金) 10:47
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 葵の上の登場に私は余り興が乗りませんが、何と言っても光源氏の正妻ですから無視する訳にはいきません。尚、源氏物語には約800首の和歌が出てきますが、葵の上だけは一首も出てきません。キャラのある女性ではありませんね。

 葵の上は、左大臣と北の方・大宮の間に生まれました。左大臣と言えば今の首相に当たり、大宮は帝の妹ですので、最高級の家柄です。左大臣と帝の話し合いで、光源氏を娘婿に迎える事になりました。両者にとってメリットがあったからです。葵の上が16歳、光源氏が12歳の時ですから、今で言うなら、小6の男の子と高1の女の子が結婚するようなものです。(姉さん女房です)

 当時の貴族は結婚しても二人で新しい所帯を持つのではなく、夫は妻の実家で生活をすることになります。生活費も妻の実家持ちです(サザエさん夫婦ですね)。葵の上は気位が高く、光源氏より4歳も年上である事を恥じての気おくれもありました。従って二人の仲はしっくりとはいきません。光源氏は左大臣邸へは週に2、3回通い、後は宮中にいるという生活ぶりでした。葵の上の不満が募ります。(こう言う事は直ぐに世間にバレルもの)。

 その後葵の上の事は余り物語には出て来ず、専ら光源氏の女君漁り?が続いて行きます。葵の上が出てくるのは、六条御息所のところで書きました@「車争い」と、葵の上のA懐妊(22歳)→物の怪(六条御息所の生霊)に憑かれ→長男・夕霧を出産後、敢無い最後を迎える場面です。上記Aのあたりで、やっと二人は夫婦らしくなったと言えるでしょう。薄幸の佳人でしたが、光源氏との愛の結晶たる夕霧を遺したことは葵の上にとって救いではないでしょうか。

 ユニ−クなへ京阪電車  ikekazu  2021年6月9日(水) 9:39
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 私にとって京阪電車は懐かしい思い出のある電車です。山間の農家に育った私は、空と山と田んぼを見る毎日だった。昭和31年高校に入り、”井の中の蛙”が街に触れる事に。高校は京阪石山坂本線の膳所本町駅近くにあった。自転車で峠を越えて瀬田に入り、瀬田の唐橋を渡り、唐橋駅前で自転車を預け、京阪電車(2両編成)に乗り膳所本町で下車し学校へ。毎日電車に乗るなんてなんか晴れがましい気分がしたものです。最も半年もしないうちに、家から学校まで自転車での直行通学に切り替えたと記憶している。

 と同時に京阪は、私鉄では初めて特急電車(淀屋橋〜京阪三条)にテレビを備えたり、通勤時間帯には、開閉ドアの数を増やしたりとか、とてもユニ−クな会社であるが、最近もう一つユニ−クな事を知りました。

 京阪電車大津線とは、京阪の京津線(琵琶湖浜大津〜御陵)と石山坂本線(石山寺駅〜坂本比叡山駅)の二つの総称である。その京津線を走る電車が今日の本題です。小さめの4両編成の電車であるが、3つの顔(機能)の持ち主なのです。浜大津駅から@路面電車として出発。次の上栄町駅の手前で鉄道専用の路線に入り、坂を登るA登山電車に。そして京阪山科駅を過ぎるとB地下に潜り終点御陵駅へ。つまり、路面電車、登山電車、そして地下鉄の三役を果たすのです。その為、先頭車両で1両約2億円。車両の長さが短いので1メ−トル当たりでは新幹線に匹敵すると言われたらしい。

 石山寺(紫式部)、瀬田の唐橋(日本三名橋)、三井寺、義仲寺(芭蕉の墓)、日吉大社、西教寺(明智光秀の菩提寺)、比叡山延暦寺等々、石山坂本線だけでも名勝旧跡がズラリです。”どうぞ近江へお越しやす”

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