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 ユ−モアは心の癒し  ikekazu  2021年9月14日(火) 10:55
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 ユーモアは我々にクスッとした笑いと同時に元気をくれるものではなかろうか。何かの事で萎れている時に出合い立ち直れることがある。コロナ禍で逼塞状態にある今、ユ−モアを大いに活用したいものだ。

 人々を笑わせ、考えさせた業績に贈られる「イグ・ノ−ベル賞」がある。今年も日本人研究者が獲得した。日本人の受賞は15年連続らしい。

 集団で泳ぐ魚や飛ぶ鳥、交差点で行きかう人などが、指示や命令が無くても、ぶつからないのは何故か? それは自然に一塊の組織として振る舞う仕組みがあるからで、それを「自己組織化」と呼ぶ由。(そうだったのか)

 今回、京都工芸繊維大学の村上久助教らが、イグ・ノ−ベル賞の「動力学賞」を得たのだが、それはスマ−トフオンを見ながらら歩く人がいると、本人や周囲の人に影響し集団全体の歩行速度が遅くなる事(自己組織化の妨げ)を実験で就き止めた である。

 今回の研究内容は「笑わせ」より、「考えさせた」の方になるかと思うが、このニュ−スの最後に落ちがあった。今回受賞者に贈られたのは、インフレの末に廃止され、ほぼ価値がない10兆ジンバブエ$などであった。こちらの方にも「イグ・ノ−ベル賞」を贈らねばなるまい。

 「源氏物語」の思い出M  ikekazu  2021年9月13日(月) 11:17
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「大地の子」「華麗なる一族」「二つの祖国」。これ等の小説は、故・山崎豊子さんの作品である。全て3部作だが、どれもほぼ一気に読んだ記憶がある。それほど惹きつけられた。いわゆる「社会派小説」と呼ばれ、史実と虚構を綯交ぜにしたもので想像をかきたてた。『源氏物語』も、史実に創作を混ぜた物語であり、きっと女房達に、”この話はあの時のあの人の事ではないの?”と話題沸騰だったのではあるまいか。

(実話)道長は娘・彰子を一条天皇へ入内させるべく動いていた。道長が彰子の為に用意したのが和歌屏風。絵師・常則の手になる四尺屏風には「色紙形」という空白があり、そこに載せる和歌を公卿や殿上人達に命じた。選んだ作品と作者名を書いたのだが、肩書を付けず、呼び捨てのように記して、彼等とは一線を画する自分(道長)の優位を示したと言われる。

 初めて天皇が彰子のもとを訪れることになり、道長は華やかな宴を催して貴族たちを招いた。その時接待役を務め、杯に酒を注いでまわったのが、紫式部の夫・藤原宣孝であった。やがてその妻が、筆一本で身を立て、後宮で彰子を支える存在になるなどとは、その夜の誰も想像すらしていなかったに違いない。

『源氏物語』第32帖「梅枝」では、光源氏が、東宮へ嫁ぐ明石の姫君に持参させる調度や草紙の用意に没頭しています。例えば、薫物や嵯峨天皇が書いた『古万葉集』や醍醐天皇の手による『古今和歌集』を蛍の宮から譲り受けたり、又家柄や身分に配慮して、草紙(冊子)や巻物を書かせます。

 紫式部が夫・藤原宣孝から聴いた、彰子入内の折の話を、源氏物語に採り入れた事は明白です。だから面白く勉強にもなります。彰子も明石の姫君も同じ11歳です。

 鮒寿司と環境意識と長寿日本一  ikekazu  2021年9月12日(日) 14:03
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 父が亡くなって47年、最後のお努めの「50回忌=弔い上げ」も近づいてきた。父は甘辛党で、酒も強く、牡丹餅等甘いものにも目が無かった。そして鮮明に思いだすのは、好物の湖国の名産品「鮒寿司」を食べる様子である。まるで、宝物を扱うようにして食していた。酒好きの人に鮒寿司はとても合うようです。好き嫌いの少ない私ですが、鮒寿司だけはご免被りたいです。

「鮒寿司や 彦根の城に 雲かかる」与謝蕪村

 一種強烈な匂いのする鮒寿司は滋賀県の誇る高級名産品(かなり高い)です。故郷では、「風邪引いたら鮒寿司食べろ」「お腹痛かったら鮒寿司」と言われているほど、湖魚は琵琶湖付近に住む人達にとっては薬代わりの大切な健康食品だった。だから魚が住む琵琶湖を綺麗に保たなくてはならないと、県人は昔から環境意識が高いと言われます。

 一人当たりのごみの量のランキングがあるそうです。それによると、滋賀県は日本で二番目に少ない。一番目は長野県。男性の平均寿命ランキングは滋賀県が全国で一番、二番目は長野県。これは何を意味しているのか? ごみの排出量の少ない県が、平均寿命が長いと言う事です。科学的根拠はないのですが。

 蕪村の句、鮒寿司と彦根城とは何の関係? 信長は安土城に家康を招待しました。接待役は明智光秀。光秀は「鮒寿司」を家康に出した。此の料理を知らない三河武士が腐ったものを出したと怒りだす。信長は光秀を家康の面前で足蹴りにした(有名な話)。此の時家康に随行していたのが四天王の一人井伊直政、後に家康は直政の子・直継に彦根城の築城を命じたのでした。

 「源氏物語」の思い出L  ikekazu  2021年9月11日(土) 14:30
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 男が男に惚れられる、女が女に・・・。これは惚れられる側にとっては最高の名誉だと言われる。さもありなん。ではわが光源氏はどうだっただろうか。

「頭中将」 光源氏と頭中将は、とても仲の良い友達であり、かつ永遠のライバルであった。そして義兄弟でもある。源氏の正妻・葵の上は頭中将の姉。がいつの時代も、出世では光源氏が頭中将を一歩リ−ドしていたが。その頭中将が、葵の上を亡くした源氏が茫然としているのを見舞った時の感想。”仮に自分が女で、この人を遺して死んだらどんなに心残りか”

「朱雀院」 朱雀院は光源氏の異母兄です。朱雀院は何を比べても源氏に敵わないことで、劣等感があると同時に、憧れも抱いていた。実際、光源氏の話が出ると、”光るとは、こういうのを言うのかという美貌だ。あんなに素晴らしい人は見た事がない”と絶賛し、”私が女だったら、同じきょうだいでも必ず言い寄って関係を結んでいただろう”とまで言っている。

「北山の僧都」 光源氏は、瘧病で、北山で加持祈祷を受けている。僧都がその姿を、若紫の祖母(尼君)に話しかける言葉。”今の世に評判の高い光源氏の君を、こんなついでにお見上げなさらぬか。浮世を捨てた法師の目にさえ、これは格別に世の憂いを忘れ、寿命の延びるように思われる御有様ですよ、どれ、ご機嫌をうかがってこよう”

 物語とはいえ、浮世離れしている光源氏。他にも一杯あるが、少々嫉妬を感じるので、此処までで止めておく。

 私の拘り  ikekazu  2021年9月10日(金) 11:07
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 皆様には「これだけは私の拘り」と言えることの一つや二つはありますか?

 Cさんから読売新聞のコラム「編集手帳」を送って頂きました。重陽の節句(9月9日)に関する川柳の事が載っており、とても勉強になりました。私には五節句の中で一番馴染のある?節句です。と言っても私は風流の世界から一番遠い存在なのですが、理由は後程。

 中国では節句の中で最も重きが置かれるのが「重陽の節句」である。何故なら、かの国では偶数・奇数の奇数、そして陰陽の陽を尊ぶ。九は奇数で陽であり、一番大きな数字、しかもそれが重なるのである。こんな愛でたい事はないのだ。

 処で、「重陽の節句」は何と読みますか。「ちょうようのせっく」ですよね。「じゅうようのせっく」とは読みません。「重」という漢字には、読みが「じゅう」と「ちょう」があります。じゅうは重さに関係する場合、「ちょう」は物事が重なる場合と、使い分けられるのが正しいと高校生の時に教わりました。

 しかし、最近は、「重複」をほとんどの方が「じゅうふく」と読んでいます。これは出来たら「ちょうふく」と読んでもらいたいのです。しかし、ネットを見たら、「通用しているが正解でないというものの扱い方は難しい。無理に押し通すのではなく、その集団で慣用的に使われている読み方を尊重しておけば無難でしょう」とありました。成程降参です。

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