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 捨てることの難しさC  ikekazu  2021年9月24日(金) 10:45
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 捨てると題していますが、今回申し上げたかったのは、一旦手にしたものを離す、すなわち『手放す』ことの難しさでした

 例えば、・新幹線を手放せるでしょか。私の高校の修学旅行(昭和33年)は九州でした。滋賀県の膳所駅から長崎まで山陰線回りで一昼夜掛けての旅でした。・エアコンを手放せますか。私の田舎時代、実家にあったのは扇風機一台でした。・スマホは?実家には固定電話すらありませんでした。昭和34年に大阪へ就職して実家に急用のある場合は電報を打ちました。・上下水道はどうでしょうか。私の田舎は勿論井戸だけでした。ちなみに、洗車に上水道を惜しげもなく使っているのは、世界広しと言えど、日本だけらしいですよ。

 原子力発電。今まで威勢よく廃止を唱えていた河野行革担当相も、今回の党総裁選の立候補に当たり、威勢の良さは後退。結局手放せないことを見せつけました。「現実路線への回帰」です。ちなみに現実主義について、丸山真男は、「現実的たれと言う事は、既成事実に屈せよと言う事に他なりません」「現実はいつも、『仕方のない』過去なのです」と言っているそうです。

 では最後に、物を大切にする=勿体ないで締めくくりたいと思います。日本で1年間に捨てられる食料品は、カンボジアの1年間に必要な食料品に匹敵するそうです(少し古い資料ですが)。我々は先祖から教えられてきた「勿体ない」の精神は何処に置き忘れてきたのでしょうか。「衣食足りて礼節を知る」「貧すれば鈍する」という中国の諺がありますが。「衣食余りて礼節忘れる」「富すれど鈍する」になっていないか、私も反省しなければなりません。

 自由度と寛容さ  ikekazu  2021年9月23日(木) 9:37
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 自民党総裁選に4氏が立候補した。男女仲良く二人ずつとは画期的である。「個人の所得に視点」「党役員に若手登用」「防衛予算倍額」「閣僚の半数を女性に」。これ等は4氏が掲げた目玉政策から一人一つを挙げたものである。誰が選ばれても、これらをまとめて政策にいれてはどうだろうか。(可処分所得が増え、若手の党役員が政策に関与、女性半数が占める内閣が実行し、国の防衛力を高める。考えただけでワクワクするではないか)。

 もし、女性が選ばれ首相になれば、世界の日本を見る目も一挙に変わり、世界自由度ランキングもかなり上位へ躍り出るかも知れない。

 処で、「世界幸福度ランキング」なるものがある。’20年度、日本は世界第56位。この結果がどこまで正確かは分からない。というのも、@質問事項(下記)が、欧州に有利。A日本人はアンケ−ト調査では自己評価を低めに申告し勝ち、であるから。(質問事項)@人口当たりのGDP A健康寿命 B社会的支援 C人生の選択の自由度 D寛容さ E腐敗の認識。

 日本の幸福度の順位を下げる大きな要因は、CDが低いかららしい。日本人がそう答えているのだからその通りだろう。Dの改善には国民一人一人が正面から向き合うことが必要だが、政府(行政)の長が、間違っても、反対意見を言う国民に、「あの様な人達に敗ける訳にはいかない」と言ってはならないのである。全国民の長なのだから。

 研究で、幸福度を上げる最大のポイントは、「温かい人間関係」を築くことが出来るかにかかっており、その為には、自分と意見が違う人達に、どれだけ理解を示すことが出来るかの「寛容さ」が必要だと。

 出会い・出合い  ikekazu  2021年9月22日(水) 11:01
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 長く生きてきて、そしてその7割近くを八尾で住まいしている。しかし、近鉄八尾駅へ行っても、近くのス−パに行っても、都度必ず全く初めてのお顔に出会う。又毎日、新聞を読んでいても必ず、新しく、そして為になる記事に出合う。今日は新聞記事から三題を抜粋します。

@秋を告げる花に萩がある。万葉集で最も多く歌われている植物が萩で、その数140首を上回るとのこと。花見と言えば桜ではなく萩か梅だったらしい。また、お彼岸に供える「おはぎ」の名は、小豆の粒が萩に似ていることに由来する。(私はおはぎが好物で週に2回は買うのだが、2個入り198円だったのが、1ヵ月前から230円になっている。小豆の値段が上がったのだろうか)

A真実の声は小さい。真摯に説明すれば、自然言葉は複雑になる。当たり前である。世界が複雑なのだ。そして嘘の声はでかく、シンプルだ。本人も恥ずかしいからである。「人間は、嘘をつく時には、必ず真面目な顔をしているものである。この頃の、指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ!」(太宰治「斜陽」)。(来月は総選挙である。参考にしようかな)

B最近の言葉の破壊。自粛とは自ら進んで慎むこと。ならばそれを「要請する」などとは言えない筈だが。「自粛要請」はメディアでも繰り返し使われた。現場への責任の押し付けをごまかす表現だった。(哲学者・國分功一郎) (全然疑問を抱かなかったなあ)

 明日は何に出合えるだろうか。

 短歌のこと  ikekazu  2021年9月21日(火) 9:54
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 どうしても俵万智さんの歌がもう一つ好きになれないのだ。

 俵万智さんといえば、短歌の裾野を限りなく広げた大功労者である事は論を待たない。「サラダ記念日」(1987年)は280万部も売れた由。歌集では異例中の異例である。彼女の短歌は、日常生活をさりげなく定型の短歌に詠み込んでいて、上手く表現している。パッと見では、5,7,5,7,7ではない様に見えるが、ほぼ定型を踏んでいる。例を挙げると、

 俺は別にいいよって何が いいんだか わからないままうなずいている

 おれはべつに(6) いいよってなにが(8) いいんだか(5)わからないまま(7)うなずいている(7)

 次に季節柄、つとに有名な藤原敏行の歌(古今和歌集)を紹介したい。
 「秋来ぬと目にはさやかに みえねども 風の音にぞおどろかされぬる」
 こちらも、難解な技巧も言葉もない、ストンと腑に落ちる。

 両者を比べて、同じ七五調だけど、前者はどうしても流れが悪く、私には韻文ではなく散文のように見えてしまうのだ。原因はなんだろうか。思いついたのは「口語体」と「文語体」の違いではなかろうかと。しかし、私の好きな石川啄木は「口語歌」と呼ばれる。短歌にはトントンと流れるリズムが大事だと考えているが、啄木と万智さんとでは、どこがどう違って、リズム感に違いがあるのだろうか。人によってリズム感が違うということか。

 そう言えば啄木も好きな人とそうでない人とが半々だったと聞く。

 「源氏物語」の思い出N 春秋の争い  ikekazu  2021年9月20日(月) 9:16
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「物淋しい季節」の到来です。今でも、”私は春が好きよ” ”いえいえ季節は秋に限るわ”と論争を楽しむ風景が見られますが、千年前の「源氏物語」でも、春秋の風流な争いがあります。

 光源氏が35才の秋、六条京極辺りを用地として、四季にちなむ念願の六条院が完成しました。その面積、何と4町歩(12,000坪)です。春、夏、秋、冬の町があります。春の町には正妻格の紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮(梅壺女御)、冬の町には明石の君を住まわせています。

 六条院でも9月になると紅葉が色づき、秋の町の庭は殊のほか趣深くなりました。秋風が吹きしきる夕暮れに、秋の町に住む秋好中宮と春の町に住む紫の上の間では、春秋の優劣を詠んだ和歌の応酬がありました。(第21帖「乙女」)

「心から春まつ園は わが宿の 紅葉を風のつてにだに見よ」秋好中宮
(春を待っているあなたのお庭でも、風の便りに秋の紅葉を愛でて下さい)

「風に散る紅葉は軽し 春の色を 岩根の松にかけてこそ見め」紫の上
(紅葉は風に散りますから、私は松の岩根の長さにちなんで春を待ちましょう)

 何と風流なことでしょう。これに先立つ「薄雲」の帖では、秋好中宮は春秋のどちらが好きかとの問いに。「母・六条御息所が亡くなった秋に惹かれる」と答えています。ちなみに私は9月生まれでから、秋の方が好きです。このうら寂しさも。理由は案外単純なものではないでしょうか。

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