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 紫式部は何を伝えたかったのかI  ikekazu  2021年6月30日(水) 11:58
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「源氏物語」は、物語は大掛かりであるが、舞台の中心となるのは、内裏と貴族邸宅(二条、三条、六条)であり、誠に狭いものである。勿論、須磨や明石、小野、北山、宇治、石山寺、長谷寺、住吉神社(大社)が登場するけれど。

 若紫(紫の上)その三。光源氏は、若紫が10歳の時に、二条の自分の邸に引き取ってから、二人が過ごした年月は実に33年間に及ぶ。妻(妾)と呼ばれる女君はあちこちにいたけれども、光源氏が一番愛した人は紫の上である事は、大方の読者が認めるところであろう。その間には、光源氏が都を後にしなければならないという最も苦しい時季もあった。源氏物語が別名「紫の上物語」と称される所以である。

 須磨・明石時代、紫の上は寝込んでしまう事もある中、手紙と共に着物を仕立てて送ってくる。にも関わらずその間に光源氏は明石の君との関係が出来、子を授かっていた。帰京した光源氏は、大堰へ、明石の君、明石の姫君、明石の尼君を呼び寄せ、あろうことか、紫の上に明石の姫君の養育をたのむのである。(光源氏は明石の姫君を将来入内させたいと思っていたが、母の実家は格が劣る為、紫の上に養い親になって貰うことにした)。

 紫の上は光源氏の身勝手な頼みをきいた。明石の姫君を引き取り、「うちまもりつつ、ふところに入れて、美しげなる御乳をくくめたまひつつ戯れゐ」(薄雲の帖)。実の子ではない娘に、紫の上は、無論、乳など出るはずのない乳房を含ませるのである。(紫の上は生涯子を産むことは無かった)。

 紫の上(43歳)が4年来の病に臥していて、出家を願うが光源氏は頑として許さない。出家=夫婦の縁切れは、光源氏には耐えられる事では無かった。この事からも光源氏が如何に紫の上を愛し、必要としていたかが読み取れる。

 いま「児玉源太郎」ありせば  ikekazu  2021年6月28日(月) 20:09
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 今一人の児玉源太郎がいてくれたら と思うのは私だけだろうか。

 東京五輪を開催することは100%決定の様だ。コロナウイルス感染症の状況で開催・中止を決めるのだ とばかり思っていた私が迂闊だった。今の政府には当初から「中止」の選択肢はなかったのである。政府は主催者ではないという一方、G7では各国代表に強力な選手団派遣を要請した。コロナ禍が収束していない中で、「コロナに勝った証としての平和の祭典」を開くのだと。私は端から反対しているのではないが、何か精神論で押し切ろうとしているのが気になる。

 明治の軍人・政治家であった児玉源太郎の事を知ったのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」であった。その中で、旅順要塞を攻めあぐんでいた、乃木希典の第3軍を助けるようにとの使命で、総指揮権を与えられて現地に乗り込んで、僅か4日で203高知を陥落させたとなっている。「坂の上の雲」は歴史書ではなく、又司馬は乃木嫌いであった事は差し引かねばならないが。

 私が児玉に感嘆したのは、日露戦争が続いていたある日、用事で帰国し出迎えた部下に言った一言である。「おい〇〇君、日露戦争終結のシナリオは出来ているのだろうな」であった。戦争はどの時点でどのような方法で終わらせるかを、常に(始める前にも)考えておくべきものであるとの、彼の理念である。

 五輪と戦争は違う。けれども、今のコロナ禍は戦争と同じと考えても良かろう。児玉ならどう裁くであろうか、興味津々なり。

 紫式部は何を伝えたかったのかH  ikekazu  2021年6月26日(土) 10:20
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(若紫その二) 光源氏が若紫をこそ、自らの手で教育したいと思ったのは、憧れの初恋の人・藤壺に瓜二つの少女(藤壺の形代としての若紫)を理想の妻にしたいと、光源氏は心底思ったからでしょう。

 北山から都に戻った光源氏は、尼君に何度となく姫君への想いを手紙に託します。病篤い尼君(祖母)は、光源氏の求婚に困惑しつつも、一方で姫の行く末を頻りに案じ、成人の暁には、と後ろ身を願う趣でもありました。

 ほどなく尼君死去。服喪期間が過ぎるのを一日千秋の思いで待っていた光源氏は弔問に訪れます。同日、若紫の父・兵部卿宮も訪れ、若紫を自邸に引き取ることを乳母に告げます。惟光を通して兵部卿宮の動きを察した光源氏は、明け方惟光とともに姫の邸を訪れ、無心に眠る姫を起こし、抱き上げて車に乗せ、二条院に迎え取ったのです。(略奪に等しい光源氏の行動)

 光源氏22歳の時、正妻葵の上26歳は、若君(夕霧)を出産、ほどなく光源氏の留守中に急逝。左大臣帝にこもって服喪する。葵の上の服喪が終わるか終わらないうちに、光源氏は、若紫と新枕を交わしたのでした。自邸に引き取ってきてから4年の歳月が流れていました。

 余談ながら、私たちが「源氏物語」を読むに当たり注意しなければいけないのは、今の道徳・倫理、価値観で見てはいけないということ。時代背景そのままに受け入れることです。私個人は、起こったことより、その時、登場人物はどう感じ、思ったかを楽しむことにしていて、本当に多くのことを教えられます。

 父の日に思う  ikekazu  2021年6月25日(金) 13:50
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 私の実家は、滋賀県の山間の農村で米作農家でした。父は明治最後の生まれで、仕事は農林省滋賀食糧事務所農林技官。肩書はいかついですが、要するに米の検査員であった。母は「吾亦紅」の歌詞にあるように、生まれた村から一歩も外に出ることなく(大阪に住む私たちの家以外は)、朝早くから夜遅くまで働く為に生まれてきた様な人と申しても言い過ぎではないと思います。

 当時は社会的にも家庭的にも、父親は一家の大黒柱であった。ちなみに広辞苑によれば、大黒柱は亭主柱ともいうらしい。私達家庭に於いて、父親は怖い存在であったし、間違いなく家の中心・大黒柱であった。

 しかし世の中移ろい易いですよね。’99年の調査では、66%が、父親は「大黒柱」と答えていますが、’02年には、今の家庭で父親は家の中心的な存在と思う人は40%、思わない人は56%になっています。仕事は男性、家事や育児は女性という考え方にも、賛成は37%、反対53%になっています。

 それはそうととして、日本では、「父の日」は、1981(S56)年から始まりましたが、「母の日」との格差は如何ともし難い状況ではないでしょうか。三輪憲さんの句に「誰ひとり気づかず父の日の過ぎぬ」とありました。もうぴったりです。私も作りました「一年で一番惨め父の日が」

「母の日」と「父の日」にこれ程の格差が出来たのは何が原因でしょうか。

 紫式部は何を伝えたかったのかG  ikekazu  2021年6月23日(水) 11:38
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 最初に、(Q)源氏物語で多く出てくる言葉は何でしょうか。(A)「宿世(すくせ)」です。全部で117回を数えます。(例)光源氏は父帝の后の藤壺との密事の果てに藤壺懐妊。藤壺はそれを「あさましき御宿世」と受け止めます。犯した罪それ自体に対する、道徳や倫理による内省というより、むしろそうした関係に導かれるほかなかった前世からの因縁の中での運命への嘆息。(現在の因果、因果応報とは少しニュアンスが違う様だ)。

 本日は、10歳の美少女「若紫」です。(その一)若紫は兵部卿宮(父)=先帝の皇子と按察使大納言の姫君(母)の間に生まれる。藤壺女御とは伯母と姪の関係。容貌は瓜二つ(桐井壺更衣=藤壺=若紫がとてもよく似ているという設定で、光源氏の若紫への気の入れようが違う)

 光源氏(18歳)は瘧病(今で言うマラリア)となり、北山の聖の加持を受けに出かけました。夕暮れになって、光源氏が小柴垣越しに坊をかいま見ると、上品な尼(実は若紫の祖母)が読経をしており、そこに十歳ばかりの女の子(若紫)が、女童が雀を逃がしたと涙を擦り、走ってきます。驚いた事に、その女の子はあの藤壺そっくりの容貌をしていました。

 光源氏は、この幼い人をこそ、自らの手で教育してみたい といよいよ思いを固めるのでした。上品な尼はこの時病いが篤い状態でした。早速光源氏は祖母に女の子の親代わりを申し入れる。祖母は「まだ本当に頑是ない年頃で、大目に見て頂くにしても幼すぎますので、とてもお受けいたしかねるのでございます」と返事をする。

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