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 紫式部は何を伝えたかったのかS  ikekazu  2021年7月23日(金) 10:46
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(知識の栞)須磨は、万葉集以来、海人の塩を焼くところとして和歌に詠まれてきた歌枕であると共に、在原行平が侘しく籠り、藤原伊周が配流された土地としても有名である。なお中世の注釈書である『河海抄』は、石山寺参籠中の紫式部が琵琶湖に映える八月十五夜の月を見て「須磨」「明石」巻から書き始めたという伝説を載せている(竹内雅彦)(ちなみに琵琶湖ほとりの景勝地を選んだ近江八景。そして、瀬田川を臨む景勝地石山を名月鑑賞の最適の地と見定めていた)

「明石の君」その二。光源氏がみた夢の中で、父・桐壺院が”早く船を出してこの浦を去れ”といいます。夜が明けると明石入道が小舟で光源氏を迎えに来ます。聞くと、夢のお告げに導かれてのことらしい。二人の夢が一致したのです。暗い須磨の生活から一転「明石」という地名の通り、物語は明るい雰囲気になります。明石入道の豪邸に居宅。

 光源氏と明石入道との付き合いが進み、その中で、入道は明石の君の存在を語る。秋になり、光源氏が明石の君との逢瀬を望むが、明石の君は、”自分は受領階級の娘、自分を人の数にも入れてくれないだろう光源氏の為に、将来悲しい思いをしたくない”と思ったのだ。光源氏は手紙でアプロ−チをするが明石の君はうんと言わない。業を煮やした光源氏は8月12、13日の夜、明石の君のいる家を訪れて愛情を交わしたのでした。

 身分の事もあり控えめな性格であるが、しっかりとした信念を持ち、受領階級に似合わない気品と知性があった。光源氏はぞっこん惚れた。(明石の君18歳、光源氏27歳)。 

 偉大な病人A  ikekazu  2021年7月22日(木) 10:34
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 「糸瓜の咲て痰のつまりし仏かな」
 「おとゝひのへちまの水もとらざりき」
 「痰一斗糸瓜の水も 間にあわず」

 偉大な病人と言えば、この人を外すことはできない。正岡子規である。言うまでも無く、子規は明治を代表する俳人・歌人。珍しいのは、俳句と短歌の両方で極めた事である。両者は根本的に違うものである。前者は情景を、後者は心情をうたうものであり、両方をやる人はほとんどいない。況してや両方で極めた人は彼だけではなかろうか。

 彼は記者として日清戦争に参加したが病気で帰国。その後脊椎カリエスになり、以後世を去るまで病床にいた。冒頭の3句は彼の辞世の句である。脊椎カリエスという難病は、病原菌により脊椎が破壊されて湾曲し痛み、半身不随や寝たきりになる。また、破壊された骨が膿になり、その溜まった膿が出口を求めて皮膚に穴をあけ、体外に流れ出るという。想像を絶する悲惨さ、そして激痛を伴う病気である、彼の背中は穴だらけだったと言われる。(以上ネットより)

 彼はそんな状況下、母や妹に毎日悲鳴を上げ乍ら膿を取って貰い、世話になりながら悪態を付き、仲間を笑わせ、大食を重ね(もう吃驚する程だ)、吐き、又食べ、鎮痛剤を飲む日々。その様な中で、俳句、短歌へは執拗なまでに情熱を傾け、過去の伝統的な歌(古今和歌集などボロクソ)を退け、新しい題材で写生的な歌を生み出した。最後の3年間、押し寄せる激痛に耐え乍ら作品を生みだし、弟子を育て上げた、その強靭な精神力は何処から生み出されたのであろうか。

 顧みて、たかが「帯状疱疹」の痛さに悲鳴を上げる自分を恥じるばかり。されど痛い。

 箸休め@  ikekazu  2021年7月21日(水) 11:08
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 内親王とは、現憲法では、天皇の嫡出(正妻)の皇女、又は天皇の嫡男系摘出の皇孫で女子、又は天皇の姉妹とあります。現在での内親王と称されるのは、天皇陛下のご長女・愛子内親王と秋篠宮さまのご長女・眞子内親王、ご次女・佳子内親王の3人だけです。

 ここからは、『源氏物語』の時代前後のお話です。律令のひとつ「継嗣令」は、内親王はじめ四世皇女までの結婚を、天皇や皇族を夫にする以外、認めていなかった。皇女たちが他氏の男と結婚すれば、彼女たちを介して天皇家の血が他氏に流れてしまう。それを阻んで天皇家の権威を守ろうというのが、法の趣旨だった。

 だが、摂関期、天皇には藤原氏の娘が続々と入内する様になった。皇女たちは圧倒され、いきおい独身で生涯を過ごすことが多くなった。今井源衛氏によれば、平安時代が始まった桓武天皇から『源氏物語』直前の花山天皇までの間に、皇女の数は160人余。うち結婚したのは、僅かに25人と、六人に一人に満たない(山本淳子) もうビックリです。

 皇女(内親王)ともなれば、幸せそのものだったと思われがちだが、そうではなかったのである。親(天皇)としては、娘のことがおおいに気になるのは庶民と変わらない。源氏物語では、朱雀院が病気勝ちになり出家を志した時、気になるのは女三の宮(三番目の内親王・13歳)のこと。色々と周りとも相談して下した結論が、39歳と26歳も歳の差のある光源氏に降嫁させることだった。(この事は後日取り上げます)。

 痛い痛いと恩寵  ikekazu  2021年7月20日(火) 12:03
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 感じる痛さは人による故、本当はランキングが難しいかも知れないが、ネットで見たのを挙げておきます。1位が群発頭痛 2位が尿路結石 3位が心筋梗塞が一応の通り相場の様だ。私は35才の時尿路結石でのたうちまわった事を懐かしく思いだす。

 意外なのは、「帯状疱疹」が10位までに入っていないことである。此処1か月強悩まされている「帯状疱疹」、その痛さを表現すれば、「ヒリヒリ」「ピリピリ」「ビリビリ」が波状的に襲ってくるというのが適当かも知れない。

 唐突ですが、三浦綾子さんの「ガラシャ夫人」からの引用です。玉子(後のガラシャ夫人)と佳代(玉子の侍女)の会話。父光秀は謀反が敗れ殺害された。玉子は夫・忠興の言いつけで味土野へ隠されていたが、2年後豊臣秀吉から許されて大坂の玉造へと帰れるようになった時の会話である。

 玉子「今になって、いつぞやそなたが申された言葉の深さが、漸くわかりました」。佳代「わたくしの言葉の?・・・」。玉子「そなたは申されました。そうですそなたは申されました」。 −略− 佳代どの、あの時そなたは、「確か諸々の苦難を、恩寵と思えるように祈ると申されました。そして、そなたは、人の一生は苦難の連続かも知れぬ、無事帰っても、もっと大きな苦難があるかも知れぬと申されました。佳代「申し訳もござりませぬ」。玉子「いいえ、今になって、その言葉がわたくしを思っての言葉であったと、よくわかるのです」

 帯状疱疹の痛さを「恩寵」と思えるようにならねばと思いつつ。

 紫式部は何を伝えたかったのかR  ikekazu  2021年7月19日(月) 6:27
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 もう何人女君を紹介したでしょうか。次に明石の君を紹介したいと思いますが、その為には、光源氏が須磨へ流された間の事情を簡単に述べねばなりません。光源氏が26歳の春、謀反の罪で無位・無冠となり、自ら須磨へ退去したとなっています。

 何が謀反の罪? 光源氏が「帝の御妻=朧月夜」と過ちを犯したからだと。しかし朧月夜は内侍(ないしのかみ)であり、制度上は女官であって朱雀帝の后ではない為、朧月夜との密会は罪には当たらないと考えられる。それを弘徽殿大后が罪として作り上げ世間に流した(帝の后との過ちとして)。

・光源氏26歳、3月20日、側近の7,8人ばかりを連れひそかに離京。
・その冬、明石入道は光源氏の須磨流謫の噂を聞く。娘を高貴な男君との縁組を期待。
・光源氏27歳の3月、開運の祓をした処、にわかに暴風雨となる。
・3/13、都も嵐となり、朱雀帝の夢に桐壺帝が現れ、朱雀帝眼病、右大臣薨去。
・光源氏の夢に故・桐壺帝が出現、須磨からの退去を指示する。
・翌朝明石入道が光源氏を船で迎えに来て明石へ。光源氏に明石の君(娘)の事を語る。
・8月、明石入道の手引きで明石の君と愛情を交わす。
・光源氏28歳、朱雀帝や弘徽殿の病篤く、7/20過ぎ、光源氏の赦免と召喚の宣旨。
・約2年4か月の流謫生活でした。

 初めて明石の君の姿を目にした光源氏は「ほのかなるけはひ、伊勢の御息所にいとようおぼえたり(雰囲気が六条御息所にそっくり)と思う。 

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