10日、第2次岸田改造内閣が発足した。閣僚19人の内5人が初入閣、初めて憧れの大臣になった訳だ。込み上げる物があるに違いない。
処で、次の言葉は明治時代に生まれた様だ。「学士様ならお嫁にやろか、末は博士か大臣か」。現在でも、博士や大臣も値打ちがこの言葉の通りだろうか。中には死語だという人もいるのだが。
まず博士。戦前までの博士は、そのほとんどが東大出か京大出。数も少なくかなり希少価値があった。処が、戦後雨後の筍のように大学が全国に設けられ、そこでも博士号を出しても良くなった。1957〜2009年での、博士号学位授与件数の総数は446,313件。つまり2009年時点で博士号を持つ人は44万6千人いたことになる。(博士号を持っていても中々思った所に就職がかなわないらしい)。
博士号のエピソ−ドを一つ。明治44年2月20日夜、大文豪の夏目漱石宅に、文学博士号を与えるから翌日に文部省に取りに来るように」との郵便が届いた。当時漱石は胃潰瘍で入院していてそれは無理だった。それより漱石は博士号になんの関心も無かった。後日送られてきた学位記は、弟子の森田草平が文部省に出向いて返還。漱石はこれで全て済んだと思っていたが・・・・。
しかし文部省の見解は、学位記を返すのは構わないが、漱石が博士になった事実は変わらない、というものであった。結局、文部省は「漱石は文学博士」漱石は「博士号は不要」との立場で現在に至っている。元々博士号に関心のなかった漱石が、「与えてやる」と言わんばかりの文部省に癇癪を起こしたと言うのが真相らしい。 |
|