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 心のキャッチボール  ほっこり  2019年11月11日(月) 22:35
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11月10日八尾市生涯学習センターで第7回伝えよう!家族のきずな・いのちのつながり『心のキャッチボール』が開催された。
八尾市内の小学校26校、913名の応募作品から選出された22名の生徒と、生徒が差し出した手紙のお相手との朗読発表と表彰式で、市長、教育長や学校関係者も多く参加された。
感謝の心、思いやりに溢れた温かい心のキャッチボールは聴衆の琴線に触れ、感動の涙でハンカチを濡らした。
まさに家族のきずな、いのちのつながりを実感した一日であった。この気持ちは当日限りでなく、日常生活の中でも忘れないよう努めたい。(^_^)v

 感謝、感謝  ikekazu  2019年11月12日(火) 9:43 [修正]
 今回の「心のキャッチボ−ル」作品募集は、4月16日の、校長会・幹事会での説明からスタ−ト、表彰式まで約7か月間のロングランであった。本当に多くの方々、児童、保護者、校長先生、担任の先生、選考委員、行政、協賛を頂いた方、等々、にお世話になり初めて成り立つ本催しであるが、特に教育委員会指導課には一方ならぬご支援をいただき、感謝の言葉も見つからず、「只々ありがとうございました」と申し上げるより他ない。

 選ばれた作品を目にした時も当然感激したが、正直涙するまでには至らなかった。しかし、表彰式で、一組、一組が面と向かい、お互いの想いを語り合うと、どうしたことか涙、涙、涙であった。子と親、子と祖父母、姉妹の向き合う姿、その表情、生の声、ト−ン、仕草等が醸し出す温かな風景は、到底文章では伝え切れないのであろう。

 「この親の子になれてよかった」「この子の親になれてよかった」「この家族でよかった」となっていただける場を提供できたとすれば、主催者として望外の喜びである。児童がすくすくと育ってくれることを祈りながら、感謝の言葉に代えさせていただきます。 関係者の皆様本当にありがとうございました。

 奈良公園散策  Kan  2019年11月4日(月) 13:39
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文化の日、会社OBの皆さんと久し振りに鹿の奈良公園を訪れた。正倉院展に来られた方と外国人観光客でメイン道路は人であふれていた。それでも少し裏に回ると落ち着いた奈良を味わえる。東大寺大仏殿の裏には正倉院がある。シルクロードで渡ってきた当時の世界文化がここに納められ今日まで保管されているのが世界の奇跡だという。一般に古代の遺品の多くは地中から発掘されたものが多いのだ。火事、地震、雷での消失はもちろんのことだが、世界の歴史では権力者の交代を経る中で散逸するのが当たり前。1200年にわたって保管してきた事実こそ日本が誇れる文化と言える。今や正倉院は世界の博物館と言っても過言ではない。

 正倉院展  Kan  2019年11月11日(月) 17:22 [修正]
正倉院展に行きたいが時間が取れない。そこでNHK日曜美術館で放映された「天平の風 令和に吹きぬ 第71回 正倉院展」を見て楽しんだ。1200年余の昔の品々を今見てもその芸術性や、技巧のすばらしさに感心する。しかしそのこと以上に、これらのものが永きにわたって保管されてきたこと自体がすごいことなのだと改めて思った。人から人へとこれらが引き継がれてきたことを考えると多くの先人の努力、そしてその積み重ねに対しての感謝感動を共に味わってこそ本当の鑑賞だろう。ちなみにこのような品々を「伝世品」と呼び世界でもこの時代のものを伝世品で見られるのは日本だけとのこと。写真は聖武天皇が儀式に使った靴。(ホームページより)

 変化?  ikekazu  2019年11月11日(月) 11:11
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 若い時は他人、例えば就職時の同期や大卒、に負けて堪るかと闘争心を持ち、60歳辺りからは自分、例えば自分に残された時間や怠けようとする弱い心、に負けて堪るかと闘争心を持とうとしたものである。もっともそう言えば聞こえは良いが、正直に申せば、頑張ろうとの振りをしただけというのが正確であるけれども。

 つい最近、齢の似た友人から手紙を貰った。其処には、耳が遠くなり何度も聞き返して連れ合いに叱られ、読書欲が衰え読物もおっくになった。「齢には勝てませんねえ」と記されていた。これって私が今感じていることをそっくり代弁してくれているではないか。

 さて80歳を間近に控えた私はどうか。否応なく降りかかってくる心身の衰えに何とか負けまいと思う日々である。友人の手紙で悟った(何と殊勝な事よ!)、もう勝てないのなら闘うことは止めようと。耳の遠くなった事、杖無しでは歩行困難な事、トイレの回数が格段に増えた事、毎日の様に探し物に時間を食われる事。もうそれらに勝とうとするのは辛い。ならば、それらの現象と仲良くしていこう。仲良くすることは、闘うのでもなく逃げるのでもない。決して引け目を感じなくても良いのではなかろうか?

 言葉の使い方は難しい  ikekazu  2019年11月8日(金) 23:54
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 新聞の見出しは、読者が飛びつくように考えた各新聞社の作戦?だから、注意が必要である。読者には中味をよく読み確かめる責任がある。

 1950(昭和25)年12月の参議院予算委員会で、時の大蔵大臣池田勇人(吉田茂元首相の秘蔵っ子で後の首相)が、野党議員の「米価を上げる、ただし麦とかは何とかは余り上げない。こういう食糧の価格体系について大蔵大臣には、何か他に理由があるのではないか」との質問に、「(略)私は所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副った方へ持って行きたいというのが、私の念願であります」と答えた。新聞が翌日の朝刊に「貧乏人は麦を食え」という見出しで紹介し、これが池田自身の発言の様に伝わったいうのが真相である。趣旨は、低所得者が米を食べられるようにするとして需要と供給で決まる米の値段に政府が介入するような米価統制をする気はないだったらしい。

 処で、大学入学共通テストでの英語民間試験導入に対し、教育格差を生むのではないかと問われた文科相が、「自分の身の丈に合わせて頑張って貰えば」と発言し、大きな波紋を呼んだ。

「身の丈に合わせて」という言葉は、自分に使えば、謙虚な姿勢を示したリ、現実感覚があると受け取られたりして、好感を持たれる表現になるが、他人に使うと「分相応に生きろ」というニュアンスになって感じが悪い(明治大学教授・斎藤孝氏)。成程、言葉は使い方で良くも悪くも取られる。それほど、日本語は深い意味を併せ持っている良く出来た言葉だと思い知らされました。

 規則は規則か?  ikekazu  2019年11月5日(火) 14:55
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 歳と共に「座りたいなあ!」と思う機会が増えてきた私。展覧会で、本屋や図書館で。

 病気でご主人を亡くされた奥様の投稿から。ご主人はとても読書が好きだったそうである。普段は体調の勝れないご主人の為に図書館で本を借りられていた由。ある日、少し気分が良かったのでご主人と連れ立って図書館へ。しかし立ったまま本を選ぶのが辛そうだったので、近くの椅子を本棚の前にもっていった。

 図書館の職員が飛んできて、「勝手に椅子を移動させないでください」と注意を受けた。奥様は謝った上で、病気のことを説明されたが、受けいれて貰えなかった。以後、ご主人は2度と図書館へ行くことはなかったとのこと。先日の台風19号でホ−ムレスの男性が避難所で受け容れられなかったと知って、ペンを取られたのである。「規則は弱者を切り捨てる為にあるのではないだろう」と。

 この投稿で思いだした。22日に亡くなられた元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんのことである。彼女は、クルド人がイラク政府に鎮圧され山岳地帯に逃げ込んでいく光景を見て行動を起こす。それまで難民は、国境を越えなければ国際支援ができない原則だったのを、「一番大事な事は苦しんでいる人間を守り、苦しみを和らげる事だ」と、運用を変えたのである。

 社会生活を営む上で規則は必要である。図書館員も市職員も規則を守ったのであって、間違った事をした訳ではない。少しの思い遣り(柔軟性)が欠けていただけである。しかし私だったらどうしただろうか? 自信がない。

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