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 中国の事B  ikekazu  2021年12月9日(木) 11:28
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 三国時代や晋や五胡十六時代そして南北朝時代はややこしすぎるので省く。尚三国時代では、呉、魏、蜀の勢力争いで活躍した武将を描いた、講談社発行の吉川英治作「三国志」三巻を読んだ。但しほとんど覚えていないが。この頃邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢し、貢物をしたそうだ。

 わが国に馴染の深いのは「随」ではなかろうか。約400年間混乱に陥っていた中国を再統一したのが隋。が隋の時代は、581〜618年と僅か37年で、中国歴代王朝でお尻から3番目に短い王朝だったと初めて知り驚いている。尚、版図は後漢時代の約77%に縮小した。

 有名なのは何と言っても「遣隋使」であろう。合計4回派遣された。第1回(600年)は日本書紀には記載無し。第2回(607年)に小野妹子を遣隋使に任命、聖徳太子は国書を持たせる。その内容が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す 恙無しや」と書かれていたので、隋の2代目煬帝(暴君だと教えられてきたが、最近では、そうでもなかったという説も出てきている)が烈火の如く怒ったと伝わる。
 
 理由は、天子は中華思想では一人で、それなのに辺境の地の首長が「天子」を名乗ったからだ。しかし、当時隋は高句麗との問題を抱えていたので、それ以上の行動はせず、従って、わが国は隋の「冊封」体制に組み入れられることなく済んだ。冊封(さくほう)とは、朝貢した国に対して中国皇帝がその地の支配権を容認する事。もしそうなれば、わが国は独立国ではなくなってしまう訳だ。 

 美味しい焼き芋の作り方  ikekazu  2021年12月8日(水) 9:05
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 焼き芋は美味しいですよね。私も大好きです。ライフでも売っていますが、少々高いのと一度冷めたものは甘みも落ちる感じがして、最近食べていません。ではどの方法で焼くのが一番美味しいか、私の子ども時代の経験からお話をします。

 私は米農家で育ちました。米もサツマイモも作っていました。先ずは私が子ども時代の、米が出来るまでを順を追って述べます。@田植え(5月頃)A草取り(7月〜8月にかけて2〜3回)B刈り取り(10月下旬)C乾燥(竿掛け)D脱穀〈穀粒を穂から離す)E乾燥(家の庭で穀粒を筵に広げて天日乾し)F脱穀(籾摺機で米と籾殻を分ける=玄米ができる)G精米(玄米を搗いて精白した米=白米、これで食べられる状態になる)。

 上記は主な作業だけを述べましたが、米作りには八十八(回)の手間がかかると言われます(だから米という字となったとも、又、米粒を粗末にしたら目が潰れると親から躾けられました)。此の中で上記Fに出てきた籾殻を燃やして肥料として使うのですが、その籾殻を山にして焼くときにサツマイモを放り込む。籾殻はパッとは燃えず、ゆっくりゆっくりと焼けて行く(時間にして5〜6時間)。この弱火でゆっくりと焼いて行くのが、サツマイモのうま味を最大限引き出すコツです。急いでは事を仕損じるのです。但し、これは飽くまで私個人の考えで、皆様に保証するものではありません。

 米作りも3四半世紀を経て超近代化し、恐らくこの様な籾殻を焼くという長閑な風景を見ることはできないのではないでしょうか。 

 中国の事A  ikekazu  2021年12月7日(火) 20:50
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 中国での初めての統一国家「秦」は僅か14年間で幕を閉じました。「始皇帝」は「不老不死」を目指し、部下にその薬を見つけるように指示したことは有名である。しかし、それが逆に命を縮めたのかも知れない。学者や医師が作りだした薬の一つが何と水銀。結果水銀中毒で亡くなったのでは? との説もあり。最も、部下による毒殺と言う説もある。

 始皇帝の陵墓は驪山(りざん)にあり、その造営には70万人以上の罪人が動員されたと言います。1974年地元住民が驪山周辺で兵士や馬をかたどった「兵馬俑(へいばよう)」を発見。現在8000体以上出土している由。彼等は死後の始皇帝を守るための兵士たちです。如何に始皇帝の権力が絶大であったかを偲ばせます。漢字は”漢”の字があてられているので、漢の時代に出来たと思われがちですが、貨幣や度量衡と共に秦の時代に統一されたのでした。

 次に中国を治めたのが「漢」です。項羽に勝利した劉邦は高祖となり漢を建国。間に「新」という17年間の時代を挟みますが、約400年間(紀元前202〜紀元後220年)安定した統一王朝となりました。中国王朝で2番目に長い王朝です。国土は大きく内陸部へ拡がり秦時代の倍に。この時代(前漢)に「儒教」が国教になったと言われます。

 その版図ですが、漢王朝の断絶期(新の時代)において、周辺国の離反と帝国の中心部において生じた大規模な農民の反乱で、広大な版図の大部分が失われたが、後漢の時代には前漢に於ける最大版図の9割まで回復(但し朝鮮半島は再び漢帝国の支配下にならなかった)。

 中国の事@  ikekazu  2021年12月6日(月) 10:56
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 隣国でありながら、そうして昔からの関係が深いにも拘らず、私は中国の事を余りにも知らなさ過ぎたことに気づいた。少し勉強してみたい。

 今、中国は「覇権主義国家」、または、「権威主義国家」として、西欧・民主主義国家からの包囲網に遭っている。いわば嫌われ者になっている。何故中国は、チベットや新疆ウイグル自治区での弾圧や人権蹂躙等を行うのか。はた又、東シナ海や南シナ海で武威をひけらかすのは何故だろうか。其処には何らかの歴史的要因があるのだろうか。

 先ず中国4千年の歴史と言うが、その中では多くの王朝が興り亡んだ。それら王朝には、漢民族あり、モンゴル民族あり、満州民族もありと多彩である。今の王朝(政権)である中華人民共和国は、漢民族を中心とし1949年の成立であり、たかだか74年にしかならない、まさに新興国である。

 現在の中国の領土は日本の実に26倍と言われる。その歴代王朝で領土はどのように変遷してきたのかを先ず見てみたい。中国で最初に王朝を打ち立てた(統一した)のが秦の始皇帝で紀元前209年のこと。日本では未だ国家らしきものさえない時代である。秦の時代には、未だチベットも新疆も含まれていないが、現在の中国の形が出来上がったと言われる。

 秦と言う国家に統一される迄に、春秋時代があったが、孔子は春秋時代末期の魯の思想家である(BC551〜BC479年)。 

 「自助・共助・公助」A  ikekazu  2021年12月5日(日) 10:48
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 自助・共助・公助は本来、災害時に使われる語句だそうな。自然災害が発生した場合、先ず自分で助かる行動を起こし兎に角避難場所へ(自助)、避難場所ではお互い助け合う(共助)、最後に消防や警察、自衛隊に頼る(公助)という図式である。

 それはそうと、普段日本国民は誰一人として自助だけで生きておられる人はなく、必ず公助があって日本で暮らしている。そもそも独立し安定した国家があって、普段安全が守られているからこそ、学校や職場に行け、勉強も出来、これはと思う仕事も出来、そして遊べる。夜ともなれば枕を高くして寝られるというものである。

 処で、物事には大抵二面性があるから難しい。生活保護を受けようとすると、自治体の窓口でとことん(かなりプライベ−トなことまで)詳細に訊かれ、情けなさや恥ずかしさで逃げだしたくなる事もあるそうだ。それが嫌になり、生活保護を諦める人々も結構いるとか。その一方で、心身共に問題がないのに、兎に角働くのが嫌で働かとうせず「生活保護」を受けようとする人も出てくる。

 先達ても、同居している妹夫婦の家にガソリンを撒き、火を点け2児を焼死させるという真に残酷な事件があった。容疑者の50代男性は、「働くのが嫌だから、生活保護を受けたい」と常日頃周囲に漏らしていた様だ。(しかし、それが何故放火と言う犯罪にまでいくのか理解できないが)。

 正当な理由で生活保護が必要な方は遠慮なく受けられ(憲法第25条)、そうでない方は気分よく遠慮願う。誰もが納得出来る世の中であって欲しいと思う。しかし嘆かわしい問題もある。真っ当に働いても生活保護よりも金額が少ないという問題。ほんまに世の中のことは一筋縄ではいかないことが多すぎる。

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