1000年前に紫式部が、貴族社会で女性が物の如く扱われる理不尽さを「源氏物語」で伝えよう(?)としてから、約580年後、細川玉子16歳(後のガラシャ夫人)はその事をはっきりと口にした。以下三浦綾子「細川ガラシャ夫人」より引用したい。
明智光秀は、信長から、娘の玉子を細川忠興(同じく16歳)に嫁がせてはどうか と持ち掛けられる。相談とは言えそれは命令に等しい。それを聞いた玉子は、「右府さまからのお言葉である以上、兎に角嫁がねばならなぬのでございましょう」、光秀「お玉は忠興殿が嫌いか」、玉子「いいえ、嫌いも好きもございませぬ。女はみなこの様にして、好きも嫌いもわからぬ人に嫁ぐのかと思うと、それが口惜しゆうござります」。そして母親の熈子にも「母上様、女とは一体なんなのでございましょう」。思った事をはっきりと口にする玉子を光秀は、いとおしく思っていた、そして嫁に出すことに(惜しい)と心底思った。
更にそれから500年後の今、ジエンダ−問題が世界で白熱化している。東京五輪組織委員会の会長に橋本聖子氏が着任し、理事も女性がかなり増えた様だ。尚、東京五輪の出場選手は、半分近くが女性になった由。近代五輪は女人禁制だった。何しろオリンピック提唱者のク−ベルタン男爵自身が「女子競技は五輪の品位を下げる」と反対したというから驚きだ。
紫式部は世界の動きを、「千年経ってやっとここまで」と思っているか、それとも「まだまだ」と感じているか、どちらだろうか。 |
|